火災の教訓とその後の対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 09:05 UTC 版)
「千日デパート火災」の記事における「火災の教訓とその後の対策」の解説
千日デパートビル火災は、日本のビル火災史上において最大の被害を出す火災となった。それは半世紀ほど経過した2022年現在においても変わらずに最大のままである。本件火災が発生する半年ほど前に大韓民国の首都ソウルで大然閣ホテル火災が起こり、死者163人を出した。そのときに日本の消防当局や宿泊施設関係者の間では「仮に日本で韓国のような火災が起きた場合でも、我が国においては法律や設備が整えられているので、小規模で食い止められる。備えは万全だ。」と言われた。さらには「あれは外国の火災であり、その国の特殊な事情によって被害が拡大した。日本には当てはまらない」「国力も社会的背景も違う。日本では同様の火災は起こらないだろう」という意見があり、危機感などは感じられなかった。しかしながら、その一方で消防関係者や防災専門家、マスコミは違った意見を持っていた。「日本の建築物にも盲点や死角があるのは確かで、建築上の欠陥や消防設備の不備、自主防火体制の不徹底などにより、消火が遅れれば大然閣と同様の被害が出る恐れはある。特に古い建築物が危険だ」と懸念を示す向きもあった。それから僅か半年足らずで本件火災の発生によって安全への自信と期待は脆くも崩れ、懸念のほうが的中する形となった。そして日本社会全体や消防防災関係者に大きな衝撃と失望、悲しみが広がった。大阪市消防局にとっては衝撃が特段に大きかった。同消防局は消防設備や消火技能の警防面、査察や指導の予防面、そのいずれにおいても充実度が全国の中でもトップレベルにあることを誇りにしていた。実際に他の消防当局が視察に訪れることが日常化していて、それは名実ともに確かなものであった。だが未曾有の火災は発生し、優れた警防面と予防面を以ってしても甚大な被害を防ぐことはできなかった。 大阪市消防局にとっては1970年の天六ガス爆発事故に続き管轄内で発生した都市災害であったことから、なおさら深刻に受け止められた。高度経済成長期は都市の広がりを「上下方向」に伸びることを求め、「雑居ビル」という新語が作り出されるほどビルの営業形態は複雑化していた。ビルや地下街での火災に対する懸念は深刻に捉えられていて、もしも大阪で大きな火災が起きるならば、その最たる場所は「キタ」または「ミナミ」だろうと予測されていたところに本件火災が起きた。場所の予測は的中したが、火災規模と人的被害が全くの想定外だったことの衝撃も大きかった。本件火災の影響は、政府や各省庁、各自治体、消防関係者、さらには一般社会に至るまで、煙死による人的被害の甚大さによって国民全体に計り知れない恐怖感と危機感が植え付けられた。ビル火災の再発防止に向けた消防当局によるビル消防設備等の緊急査察、国会審議、法令や制度の改正、民間で避難訓練を実施する傾向が強まるなど、その社会的な影響は広範囲に及んだ。
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