湯漬けと水飯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:58 UTC 版)
飯に水や湯、汁を掛けるという供食方法は、日本への稲作、米食文化伝来とともに始まったであろうと考えられているが、当時の記録などは発見されておらず、実際、いつ頃から始まったのかは定かではない。しかしながら、例えば乙巳の変の折、最初に蘇我入鹿の暗殺を命じられた者が宮中に赴く前、水をかけた飯を飲み込んだ、という逸話からも、相当古くから存在したであろうことは窺い知ることができる。そして時代が下った平安時代には、『枕草子』や『源氏物語』などの文学作品にも湯漬けが登場する。また、冷や飯に水をかけたものは「水飯」(すいはん)と言い、『源氏物語』でも光源氏が食べたという記述がある。さらに、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』には、肥満に悩む貴族・三条中納言と湯漬け・水飯の逸話が登場する。医師に減量の方法を尋ねた中納言は、湯漬けと水飯を食べて食事量を制限する方法を勧められる。しかし、鮎の熟れ鮨や、ウリの干物で水飯を食べたところ、あまりの美味さに食べ過ぎて余計に太ってしまったとされる。 湯漬けと水飯が広く食べられていた当時、炊いた飯は、お櫃に移してから食すのが一般的だった。現在のように炊き上がった飯を保温する技術は無く、炊き立ての飯も時間の経過ともに冷える一方であった。温度の下がった冷や飯はデンプンのベータ化と乾燥によって硬化し、炊き立ての食感は失われてしまう。この冷えてしまった飯を美味しく食べる手段としても、特に熱い湯を掛けて飯を暖めたり水分を補う湯漬けは非常に有用であった。また、腐敗が始まった米飯であっても一度表面を洗い流せば食用とできることから、経済性の面からも有効な手段であったと考えられる。鎌倉時代から戦国時代末期まで、特に冬季において武士は湯漬けを常食としていたとされる。 湯漬けと水飯は身分の低い者だけが食べたわけではなく、室町幕府の将軍足利義政も昆布や椎茸で出汁を取った湯を水で洗った飯にかける湯漬け(現在で言う出汁茶漬け)を特に好んだとされる。織田信長なども手早く食べられる湯漬けを好み、出陣の前には湯漬けを食べたという話がある。 近・現代では、作家・林芙美子が随筆『朝御飯』において「「飯」を食べる場合は、焚きたての熱いのに、梅干をのせて、冷水をかけて食べるのも好き。」と書いている。さらに現在も、山形県の郷土料理として、洗った飯に冷水をかけて食べる「水まま」が残っている。
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