渡船・橋梁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:08 UTC 版)
音戸大橋と音戸渡船 第二音戸大橋をバックに航行する渡船 渡船 かつて「音戸渡船」あるいは「音戸の渡し」として運航されていた渡船は、航路約90メートルで渡航時間は約2分、日本一短い海上定期航路と言われていた。使用する2隻の船の損傷(2021年7月に発生)および、コロナ禍を起因とする乗客減少により2021年(令和3年)10月31日に廃止された。 乗客一人でも運行し、桟橋に立ち合図を送れば随時運航された。そのため時刻表はなく、午前7時から午前12時、および午後2時から午後7時の間に運航されていた。 ※参考:音戸渡船 - 呉市交通政策課 ※参考:日本一短い航路「音戸の渡し船」 - 呉市観光振興課 橋梁 「音戸大橋、第二音戸大橋」を参照 沿革 幅の狭い海峡であるが強い潮流であるため泳いで渡ることができなかったことから、古くから渡船という手段が用いられた。現在の音戸渡船の形は江戸時代からと言われている。そしていつごろからか急流から舟歌『音戸の舟唄』が作られ歌われている。戦後は、1日あたり平均250往復、6,000人から7,000人、軽車両2,000台が利用していた。渡船は24時間開かれ、4隻で船頭10人以上で運航していた。 こうしたことから、安全な交通手段としてそして音戸町発展のため様々な計画が上がる中で離島架橋が決まり、1961年当時は有料橋として音戸大橋が架橋した。1974年に無料化し現在に至っている。ただこの音戸大橋は歩行者には不便な橋であったため、音戸渡船はそのまま続き、さらに広域交通網整備、特に安全確保と災害時の緊急道路として2013年第二音戸大橋が架橋された。 一方、音戸渡船の客はこうした中で2010年代で1日あたり約200人、架橋前の1/30ほどにまでに落ち込んだ。音戸大橋より利便性が高かったため、通学する高校生にとっては必要であった。歩道が整備されている第二音戸大橋架橋が決まると必要性が減ることから、地元住民により渡船を守ろうとする動きが始まり、呉市は運営に補助金をだし、さらに地元では観光展開しアピールに努めている。 船着き場(警固屋側) 船着き場(警固屋側) 船着き場(音戸側)
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