渡船と丸木橋の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 06:10 UTC 版)
石狩川支流の豊平川は札幌市街地を流れる1本の大きな川であるが、かつては何本も枝分かれして分流合流が激しく大雨や雪解けの度に洪水を起こす川であった。 1857年(安政4年)、石狩調役として幕府より派遣された荒井金助は、札幌越新道(銭函 - 豊平 - 千歳)を横切る豊平川右岸に志村鐵一、左岸に吉田茂八を渡し守として置いた。 1871年(明治4年)4月、豊平川に最初の橋が架けられた。ただし渡船場付近の4つの分流のうち、西側の派流に2連の丸木橋が架けられただけで、東の本流と側流は依然として船で渡る必要があった。しかも雪解けで川が増水する時季であったため、1か月足らずで橋は流されてしまった。以後も橋が流失するたびに架け替えることになり、恒久的な橋の架設が望まれるようになった。 1873年(明治6年)には豊平橋から室蘭まで札幌本道(室蘭街道)が開通し、豊平川東側の本流に3連の丸木橋が架けられて渡船の歴史に終止符が打たれた。
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