海水注入問題とは? わかりやすく解説

海水注入問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:52 UTC 版)

福島第一原子力発電所事故」の記事における「海水注入問題」の解説

米紙ウォール・ストリート・ジャーナル電子版2011年3月19日に、事故拡大は、東京電力廃炉につながることを懸念したため原子炉への海水注入1日近く遅れた報じた12日の朝に検討し13日全ての号機で注入開始)。注水後の12日夜に東京電力から連絡受けた政府側の受け身姿勢事故対応の遅れにつながった指摘している。事故対応当たった複数関係者によると、東電海水注入ためらったのは長年投資無駄になることを心配したためだという。海水注入した場合塩分により鋼鉄圧力容器腐食し原子炉が再び使える可能性はほぼなくなる。 2011年5月20日には、TBS共同通信など国内テレビ局ならびに新聞社において、官邸指示により海水注入中断したとの報道広くなされていたが、2014年8月吉田昌郎証言集である吉田調書報道各社検証されたことを受けて9月1日元首相菅直人は「首相意向海水注入中断」「震災翌日55分間」と報じた2011年5月21日付『読売新聞記事取り上げ読売に対して謝罪要求9月3日には「(読売は)相当びびっている」などとTwitterつぶやいた実際には、現場指揮した福島第一原発所長吉田昌郎判断により海水注入中断することなく行われており、2011年5月27日、『ウォール・ストリート・ジャーナル』もこの事実報じた。ただし、事後検証により注水ルートの変更される3月23日まで原子炉届いたは「ほぼゼロ」であり、復水器に向かう配管横抜けていたことが明らかになっている。さらに、注水継続していた局面3月12日午後7時過ぎのことだが、1号機メルトダウンはこの22時間前から始まっており、消防車による注水始まった時点では、核燃料はすべて溶け落ち原子炉中には核燃料はほとんど残っていなかったと、推測されている。 冷却淡水無くなった時刻12日午後2時であるが、事故調査員会の参考人招致東京電力清水社長が「淡水無くなる時間はかなり以前から判っていた」「私が海水注入決断したのは、3月12日正午です。」「現場の状況厳しかった為、海水注入3月12日の夜(午後7時になった」と発言した。またその後海水注入一時的な中断指示は、原子炉冷却が一番大切なことは承知しているが、元総理が再臨界を心配していることを、武黒一郎フェロー東京電力所属副社長待遇)からの電話知り後で元総理に了承を得るとして、清水社長自らが決断して海水注入中断了承した発言した2012年7月5日発表され国会事故調報告書には「菅総理官邸内からの指示ではなく、武黒フェローが、リスクについて検討中であった官邸との関係をおもんばかり、『最高責任者である総理御理解得て進めということは重要だ』と考えて独断指示したものである」「菅総理淡水から海水切り替えると『再臨界』の恐れがあるではないかとの疑問抱いていたため、班目委員長中心となってその解消腐心していた。菅総理は、既に海水注入始まっていたことを知らなかったために時間があると思って慎重に確認したものと考えられるが、技術的に無駄な議論であった」と海水注入経緯記述されている。

※この「海水注入問題」の解説は、「福島第一原子力発電所事故」の解説の一部です。
「海水注入問題」を含む「福島第一原子力発電所事故」の記事については、「福島第一原子力発電所事故」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「海水注入問題」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「海水注入問題」の関連用語

海水注入問題のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



海水注入問題のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの福島第一原子力発電所事故 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS