浅野財閥で働くとは? わかりやすく解説

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浅野財閥で働く

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 15:23 UTC 版)

浅野良三」の記事における「浅野財閥で働く」の解説

卒業後、東洋汽船サンフランシスコ支店下級社員として働いた若い頃放蕩は実に痛快極みで、父親浅野総一郎)も呆れ果てた程だったが、総一郎一計案じて毎朝五時財閥会議開き良三欠席する雷を落とした良三早起きするために仕方なく早寝するようになり、深酒紅夢から遠ざかって社務専念するようになった。すると、昔の放蕩知る人隔世の感抱いたという。1918年大正7年)に浅野良三米国グレース商会共同浅野物産資本金百万円で設立したが、七百万円損失出して浅野総一郎大目玉食らったその時橋本梅太郎浅野物産引き受けて経営改善した同年の末頃に日本鋼管浅野製鉄所納入したインゴットケース(鋼塊)の品質悪くて数回使用亀裂ができて使用できなくなったので、日本鋼管社長白石元治郎浅野製鉄所社長浅野総一郎が、代金四百万円払え払わぬ大喧嘩になった浅野製鉄所副社長だった浅野良三がその交渉に当ったのだが義兄白石元治郎と父浅野総一郎板挟みになって苦しんだ最後に渋沢栄一中村是公仲裁してなんとか治まった浅野総一郎は、1925年大正14年)に、東洋汽船北米・南米定期航路営業権と、定期航路船舶八隻および政府委託一隻日本郵船売却して代金として日本郵船125千受け取ったが、東洋汽船その後長年経営難に喘いでいた。そこで1933年昭和8年)に、浅野良三はまず東洋証券設立して代金日本郵船同社売却して安田銀行借入金肩代わりさせ、次に東洋海運設立する東洋汽船船舶全部同社定期貸舟にして配当復活させた。こうして責任を果たすと、浅野良三白石元治郎同社辞任して無関係になった。浅野良三は、不況対応して1934年昭和9年上期浅野造船所資本金5000万円から1250万円大幅に減資したが、鉄鋼需要回復する1936年昭和11年11月に、既に造船より製鉄主体になっていたので、浅野造船所鶴見製鉄造船改称し、「浅野」をなくして財閥批判をかわし、株式公開し一般大衆資本動員して資本金二倍2500万円増資して全額払込し、1937年昭和12年10月には、さらに二倍5000万円増資した。また、既存200トン350トン溶鉱炉加えて新たに450トン溶鉱炉建設し、製板工場拡張して鋼板製造能力では日本製鐵凌ぐ会社にしただけでなく、溶鉱炉から造りそれを用いて船や機械造る一貫生産能力ある日唯一の会社育てた。それで経営手腕努力浅野財閥の代表と言われた。戦時体制強化のため同じ地域製鉄会社合併するように政府要請したので、義理の兄と弟である白石元治郎浅野良三は、1940年昭和15年10月日本鋼管鶴見製鉄造船合併して日本鋼管浅野財閥最大鉄鋼会社にすると、白石元治郎社長に浅野良三副社長就任した1942年昭和17年6月25日に、白石元治郎会長浅野良三社長に就任した

※この「浅野財閥で働く」の解説は、「浅野良三」の解説の一部です。
「浅野財閥で働く」を含む「浅野良三」の記事については、「浅野良三」の概要を参照ください。

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