浅野起州体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 18:55 UTC 版)
1999年、選手兼代表の山田が退団。それと前後して当時後援者でもあった浅野起州が代表に就任。 上記の通り何度も存続の危機に見舞われるが、その都度危機を乗り越え、ネームバリューのある外国人選手の招聘やプロレスリング・ノアを始めとする他団体との交流を行っていた。主なストーリーラインは、謎の集団「UMA軍団」を中心とした「新宿二丁目劇場」と銘打ったコミカルなアングル。小規模会場をメインとしながら継続的な興行を開催していた。 2011年6月26日、3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の復興ボランティア興行を浅野の地元宮城県岩沼市で開催。8月に松田慶三、12月に小部卓真が退団して所属選手が0人になった。 2012年9月30日、浅野の60歳の誕生日前日に約1年3ヶ月ぶりの興行「金六〇祭」を新宿FACEで開催。 2014年9月29日、浅野が体調面の不安から年内で引退と同時に年内でI.W.A.JAPANの活動休止を発表。10月13日、新宿FACE大会を最後に活動休止。同興行で「浅野起州代理引退記念試合」が行われた。 活動休止中ではあるが会社は存続しており、王座の管理、UMA軍団のマネジメント、浅野が運営している飲食店「お食事処 花膳」の営業を事業としている。
※この「浅野起州体制」の解説は、「IWA・JAPAN」の解説の一部です。
「浅野起州体制」を含む「IWA・JAPAN」の記事については、「IWA・JAPAN」の概要を参照ください。
- 浅野起州体制のページへのリンク