死亡事件に対する見解・評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:12 UTC 版)
「樺美智子」の記事における「死亡事件に対する見解・評価」の解説
警察病院の検死では死因は胸部圧迫及び頭部内出血となっている。これについて警察側は転倒が原因の圧死と主張し、学生側は機動隊の暴行による死亡と主張した。この事件はラジオでも実況中継され樺美智子の死は多くの人に衝撃を与えることとなったが、1960年6月17日に在京マスメディア7社は共同宣言を発表し、その中で学生らのデモを「暴力」であるとして「暴力を排除し議会主義を守らなければならない」と述べた。 樺の死因について山本夏彦はコラムで以下のように述べている。中略した部分は山崎博昭の死因について触れた部分である。 女子大生が死んだとき、野党はただちに声明を発し、殺したのは警官だといった。あのどさくさのさいちゅうである。なんの証拠もありはしない。ただ「てっきり」と思っただけである。野党にとっては、警官が撲殺してくれなければ面白くない。/あとでふみ殺したのは同じ仲間で、警官ではないと一転したが、やがてそれはくつがえされ、いまだに落着しない。互に証拠をあげ、互に否定しあっている。/(中略)/論より証拠というけれど、証拠より論である。論じてさえいれば証拠はなくなる。/これはすこぶる好都合である。いつ、いかなるときでも、我々は恐れいらないですむ。/ただし、一人ではいけない。徒党してがんばらなければいけない。がんばれば大ていの証拠はうやむやになる。そのよしあしは、むしろ各人お考えいただきたい。証拠より論の時代は、当分続く。 当時、全学連主流派と対立していた日本共産党は、樺の死に際して「樺美智子さん(共産主義者同盟の指導分子)の死は、官憲の虐殺という側面とトロツキスト樺さんへの批判を混同してはいけない。樺さんの死には全学連主流派の冒険主義にも責任がある」と述べ、政府・警察と全学連側の行動の双方を非難した。 日中友好協会幹部であった橋爪利次は中国側に対して、「日本海をこえた日本での問題の評価は、私たちが決める問題です。特に樺さんは、本人やご家族に取っては気毒な結果になったが運動の破壊となる過激分子のなかでおこった問題であって、民族英雄とはいえない…」と抗議した。 保阪正康によると、樺の死に対し中国からカンパが寄せられた(当時の日本円で約1,000万円)が、日本共産党が全額手中に収め、「これは前衛政党に送られたもの」と主張した。もめた挙句に救援会が作られたが、樺の霊前に供えられた香典はわずかに5万円であったという [信頼性要検証]。これに対し、日本共産党は「わが党はこういう香典のあつかいはまったくやっていない」、「恥ずべきデマ」と否定している。 松本健一によれば、右翼活動家、歌人でもある影山正治は日米安保に反対する立場から樺の死について、「樺美智子さんの死に対しては、心から哀悼の言葉を述べたい。私は彼女こそ日本のためになくなった愛国者だと思う。こういう人が私達右翼陣営から出なかったことを残念に思う」と評した [信頼性要検証]。当時科学技術庁長官であった中曽根康弘は、閣議で「本日以降、社会情勢は一変するであろう。死とか血とかを見ることは日本人には非常なショックを与える。死んだ女子学生と同年の娘を持つ父兄も異常に影響されるだろう」と演説している。 石原慎太郎は樺の死について雑誌『展望』に寄稿した際、「自分で自分を踏み殺した女子学生」と表現したところ、その論旨にいかにも共鳴したといっていた編集者が、この言い回しだけはどうしても抵抗を感じると言い出した。石原は譲らずに通したが、出来上がった雑誌にはこの部分が削除されていたことを回想している。 なお、いくつかの文献では、樺が活動家であったことを記述せず、単に「女子学生」「女子東大生」としか記していない。
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