武田徳川の攻防戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 武田徳川の攻防戦の意味・解説 

武田・徳川の攻防戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 21:17 UTC 版)

二俣城」の記事における「武田・徳川の攻防戦」の解説

詳細は「二俣城の戦い」を参照 元亀3年1572年10月武田信玄大軍率いて信濃から遠江侵攻武田勝頼大将とする軍が二俣城攻撃した徳川方からすれば落城すると本拠浜松を守る拠点がなくなるため、城代中根正照以下必死に抵抗し、城の堅固さ手伝ってよく守っていた。そこで攻めあぐねた勝頼は、籠城軍天竜川河畔水の手築いて確保しているのを発見天竜川大量のいかだを流して水の手ぶつけて破壊させることに成功し水の手失った籠城側は戦意失って落城したという(『三河物語』)。二俣城落城により武田軍遠州平野内に入り浜松無視する如くそのまま西進、これに業を煮やした家康浜松城から出撃し、12月23日三方ヶ原の戦い両軍激突した武田軍大勝し12月28日には信玄越前戦国大名朝倉義景戦勝報告するとともに織田信長を討つよう出陣催促の手紙を送っている(『伊能文書』)。この中二俣城修築中であることも記載されている。しかし、上洛そのものはまもなく信玄発病したために中止となり、信玄帰国中に死亡したその後二俣城には、信濃先方衆依田信蕃城主として入った家康信玄死後から直ち遠江三河にある武田諸城攻撃した二俣城にも元亀4年1573年6月攻勢をかけたがこのときは撤退している。一方で逆に遠江東部高天神城武田の新当主・勝頼によって落城させられるなど、徳川氏にとっては厳しい状況続いていた。ところが天正3年1575年5月21日長篠の戦い武田軍織田徳川連合軍大敗した家康直ち反攻開始6月には二俣城にも軍を出し付城前線基地)を二俣城の隣の小峰である鳥羽山ほか5箇所作って包囲した同年8月14日家康遠江東端にある諏訪原城落城させたが、二俣城城兵はよく戦い、なかなか落城しなかった。しかし同年12月24日城兵安全な退去条件についに開城城代依田信蕃駿河田中城撤退した家康城主として重臣中でも特に武勇名高い大久保忠世を置き、合わせて万全な城の修築工事を行わせた。武田軍その後たびたび攻撃をかけるが、ついに落城しなかった。

※この「武田・徳川の攻防戦」の解説は、「二俣城」の解説の一部です。
「武田・徳川の攻防戦」を含む「二俣城」の記事については、「二俣城」の概要を参照ください。


武田・徳川の攻防戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 08:15 UTC 版)

天方城」の記事における「武田・徳川の攻防戦」の解説

元亀3年1572年9月下旬武田信玄は4万余大軍率いて犬居城主天野氏案内天方城せまった天方山城守通興は風林火山軍旗なびかせ進撃してくる武田勢に通興は一戦交えることなく城を出て徳川方に身をよせた。そこで信玄久野弾正忠宗を城将として守らせた。翌元亀4年1573年3月家康は、武田の手落ちた諸城奪回戦を開始した久野弾正城兵指揮して大手の門を切って出て戦い寄せ手大久保忠隣渡辺半蔵らは烈しく攻め、ついに外堀攻め破り本丸攻め囲むこと3日兵糧断たれ久野弾正夜陰紛れて逃走、城は徳川の手帰した遠江国風土記には、のちにまた甲州の城となったが、天正2年1574年3月家康遠州軍兵率いて天方城攻め3日のうちに攻略、この城に軍兵を置くとある。天正2年4月には、犬居城主天野景貫を討つために出陣し、このとき通興は、大久保忠世属して道案内をしている。しかし途中大雨大水出て兵糧なくなったため、退却することになった。すると犬居城主天野景貫追撃開始し、さらに光明城山城の城兵、郷民らの待ち伏せにあったため、家康天方城逃げ込んだ

※この「武田・徳川の攻防戦」の解説は、「天方城」の解説の一部です。
「武田・徳川の攻防戦」を含む「天方城」の記事については、「天方城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「武田徳川の攻防戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「武田徳川の攻防戦」の関連用語

武田徳川の攻防戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



武田徳川の攻防戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの二俣城 (改訂履歴)、天方城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS