武田・山本氏関係文書
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「真下家所蔵文書」の記事における「武田・山本氏関係文書」の解説
真下家所蔵文書のうち「山本菅助」を宛名とする文書は2008年5月に安中市学習の森ふるさと学習館による所蔵資料調査を機に発見され、同館学芸員の佐野亨介が山梨県立博物館学芸員の海老沼真治に照会し、同年9月15日に調査が実施された。内容は戦国期の5通の文書のうち、「山本菅助」を宛名とする武田氏発給文書が3通あり、1通を除いて『戦国遺文 武田氏編』『山梨県史』に採録されていない新出文書であることが確認された。 5通の文書は蓋に「信玄公御證文」と朱書きされた漆箱に収められ保管されている。文書は表紙に「信玄公 御證文」と墨書された便箋が付せられた巻子本で、年記が記されていない文書を含むが年代順に成巻され、一通ごとに内容を示す付箋が付せられている。料紙は武田氏が文書を発給した16世紀後半から17世紀初頭のもので、宛名の切断などの手は加えられていないと鑑定されている。寸法も武田氏が発給した文書と同等のものとされる。文書の筆跡は一通ごとに異なるが、いずれの文書も文書内においては異筆は認められない。 また、柴辻俊六は2007年段階で『武田氏研究』36号に「山本勘助」の虚像と実像」を発表し、東大史料編纂所保管の「古文書雑纂」に収められた「高崎山本文書」を紹介し、真下所蔵文書に含まれる4通の文書の存在を指摘した。その後、柴辻は真下家の調査を行い、「家康公御證文」と記された漆箱に収められた二通の文書を発見し、2009年8月2日には山梨県立博物館による再調査が実施された。 ほか、真下家には南北朝期の文書も含まれ、建武4年5月13日付高師直奉書・里村紹巴とみられる年月日未詳の書状が確認されている。 真下家所蔵文書のうち武田・山本氏関係文書は海老沼(2009年)において翻刻され、2013年には戎光祥出版より『山本菅助の実像を探る』が刊行され、その後発見された文書や沼津山本家文書をはじめとする関係史料とともに再翻刻された。また、2010年(平成22年)6月5日-7月5日には山梨県立博物館においてシンボル展「実在した山本菅助」展が開催され真下家所蔵文書がはじめて一般公開されたほか、シンポジウムが開催され諸論考が発表された。
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