植物状態だった有名人の事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:01 UTC 版)
「遷延性意識障害」の記事における「植物状態だった有名人の事例」の解説
ウラジーミル・レーニン(1870年4月生 - 1924年1月没)ソビエト連邦最高指導者 1922年5月(52歳)に脳卒中で右半身麻痺になり、1922年12月(52歳)に2回目の脳卒中で寝たきりになり、1923年3月に52歳で3回目の脳卒中で高次脳機能障害になり、1924年1月に53歳で4回目の脳卒中で死亡した。 ヨシップ・チトー(1892年5月生 - 1980年5月没)ユーゴスラビア大統領 1980年1月に糖尿病の進行で寝たきりになり、5か月後の1980年5月に87歳で多臓器不全、肺炎、心不全で死亡した。 アリエル・シャロン(1928年生 - 2014年1月没)イスラエル首相 2006年1月に77歳で脳卒中で遷延性意識障害になり、8年後の2014年1月に85歳で低酸素脳症による多臓器不全で死亡した。 松本サリン事件の被害者で河野義行の妻である河野澄子は、1994年6月に46歳でサリンの被害により一時的に心肺停止し、病院での蘇生措置で心拍と自発呼吸は再開したが意識は回復せず、経管栄養療法で生命を維持していたが、意識を回復することなく、事件から14年後の2008年8月に60歳で低酸素脳症による多臓器不全で死亡した。 インドの看護師アルナ・シャンバグ(Aruna Shanbaug)は1973年11月(24歳)に性犯罪の被害で植物状態になり、意識が回復しない状態で経管栄養療法で41年6月生存し、2015年5月に66歳で肺炎で死亡した。 カレン・クィンラン(1954年3月生 - 1985年6月没)アメリカ合衆国 1975年に21歳で薬物の影響で一時的な心肺停止状態になり、その後蘇生措置で心拍は再開したが植物状態になり、人工呼吸器と経管栄養で生命維持されていた。両親はカレンを安楽死させたいと人工呼吸器の取り外しを主張したが、医師団が拒否したので、人工呼吸器の取り外しを求める訴訟を起こし、裁判所はカレンの両親の主張を認めて人工呼吸器の取り外しを承認する判決をした。判決に基づいて、医師団が人工呼吸器を取り外したが、カレンに自発呼吸能力が維持されていたので、その後も経管栄養療法により9年間生き続けて、植物状態になってから10年後の1985年に31歳で肺炎で死亡した。 ヨハン・フリーゾ・ファン・オラニエ=ナッサウ(1968年生 - 2013年8月没)オランダ王子 2012年2月(43歳)にオーストリアでスキー中に雪崩に巻き込まれて低酸素脳症で遷延性意識障害になり、2012年3月にロンドンの病院に転院して回復のための治療を受けていたが、2013年7月に意識が回復しないまま退院してオランダのハーグの自宅に戻され、2013年8月に44歳で低酸素脳症による多臓器不全で死亡した。 ミハエル・シューマッハ(1969年1月生 - )ドイツの自動車レースドライバー 2013年12月に44歳でフランスでスキー中の事故で外傷性の遷延性意識障害になり、2014年6月に45歳で意識を回復してリハビリを開始し、2014年9月に45歳で退院して自宅療養に移行したが、2014年1月5日時点で事故以前の意識状態までは回復していない。 ジュール・ビアンキ(1989年8月生 - 2015年7月没)フランスの自動車レースドライバー 2014年10月に25歳で日本でF1レース中の事故で外傷性のびまん性軸索損傷、遷延性意識障害になり、2014年11月(25歳)にフランスの病院に転院して、遷延性意識障害からの回復のための治療を受けていたが、2015年7月に25歳で死亡した。
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