東西線の飯田橋検車区とは? わかりやすく解説

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東西線の飯田橋検車区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 10:04 UTC 版)

飯田橋検車区」の記事における「東西線の飯田橋検車区」の解説

1964年昭和39年9月1日 - 飯田橋検車区準備事務所発足12月23日 - 東西線高田馬場 - 九段下開業に伴い飯田橋検車区発足1966年昭和41年1月15日 - 飯田橋検車区三鷹出張所発足3月 - 中野駅構内引き上げ線においても、検査実施される翌年9月まで)。 1967年昭和42年9月13日 - 東西線大手町 - 東陽町駅間延伸合わせて深川検車区発足9月14日に伴い飯田橋検車区廃止配置車両保守車両5000系 東西線検査業務は、最初開業時高田馬場 - 九段下)には本格的な車両基地がなく、飯田橋 - 九段下付近に設置した側線飯田橋検車区称して検査業務を行っていた。地上部には事務所設置され地下側線には検査ピット、リフティングジャッキ、ホイスト小型クレーン)が設置されていた。ここでは1ヶ月検査当時・現在は90以内実施する月検査称する)、毎日検査当時・現在は10日以内実施する列車検査称する)、臨時修繕車両清掃行っていた。この開業時には車輪保守できないことから、車輪摩耗対策として最高速度40 km/h抑えていた。 開業当初東西線地上区間がなく他路線との接続もないため、九段下 - 竹橋間(この区間次期開業予定区間)の本線トンネル上部搬入口設置しクレーン車2台を用いて11 m下の地下搬入した。1964年昭和39年10月下旬から12月まで1か月半をかけて搬入させた。 中野駅延伸後は、国鉄三鷹電車区(現・JR東日本三鷹車両センター)内に飯田橋検車区三鷹出張所設置し毎日検査新造車両受取検査実施していた 。延伸開業に伴う新造車両は、国鉄経由甲種車両輸送により三鷹電車区搬入した。なお、詳細について深川検車区の項目を参照のこと。 また、中野駅終端部にあるY字形引き上げ線は、1966年昭和41年3月 - 1967年昭和42年9月まで車両検車線として使用していた。 その後1967年昭和42年)の東陽町延伸開業に伴い深川検車区検車区機能移管し、東西線の飯田橋検車区は廃止された。検車区廃止後も留置線として残されている。その後1969年昭和44年)の西船橋延長時に下妙典留置線、後の行徳検車区設置されている。 九段下 - 飯田橋間のB線外側10両編成分1線の留置線存在し、現在も存在する九段下折り返し列車使用するまた、夜間の車両留置にも使用される。 この留置線B線外側にある為、A線折り返す際にB線支障ダイヤ上のネックとなっていることから、2025年完成目標に、本線走行対応した設備更新した上で飯田橋も本線に接続することで副本化し折り返し時の支障軽減する工事実施している。

※この「東西線の飯田橋検車区」の解説は、「飯田橋検車区」の解説の一部です。
「東西線の飯田橋検車区」を含む「飯田橋検車区」の記事については、「飯田橋検車区」の概要を参照ください。

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