東西線での運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 00:07 UTC 版)
「営団8000系電車」の記事における「東西線での運用」の解説
東西線では利用客増加に対処するために車両増備による10両編成化を進めており、1987年(昭和62年)11月に編成単位での増備が予定されていたが、すでに他線区でチョッパ制御車が登場している中で抵抗制御車の5000系を増備し続けるのは得策ではなかった。しかし、当時05系は設計中の段階だったため、半蔵門線半蔵門駅 - 三越前駅間の延伸開業時に投入する予定の8000系10両編成3本(第12 - 14編成)を前倒しで製造し、05系登場まで使用することになった。 これら3編成は東西線では初の冷房準備車で落成したが、翌1988年(昭和63年)に冷房装置を搭載し、東西線初の冷房車となった。東西線での一時的な使用は、地上を走る他社線と比べ、当時の営団車の冷房車の増備が遅れており、少しでも早く冷房車を増やす狙いもあった。 東西線で運用するため、半蔵門線仕様と比べて以下のような変更点があった。 運転台は5000系と同じマスコンハンドルを装備した2ハンドル式となった。ただしブレーキ装置は5000系の電磁直通式と異なり電気指令式であることから、8000系と同じブレーキ装置でかつJRへの直通規格も満たす、6000系用のブレーキ設定器が使われた。 連結器は密着連結器を装着した。 保安装置は東西線用のATC-3型 (WS-ATC) とJR線用のATS-B型を設置した。 なお、東西線での予定運用期間が長くないため、車体帯は半蔵門線と同じ紫のままとした。そのため誤乗防止を目的にすべてのドアの上部に「東西線」と表記した水色のステッカーを貼付した。 5000系と同様に津田沼駅や三鷹駅にも乗り入れ、JR東日本に貸し出した試運転では習志野電車区にも入線した。 1988年末から1989年初頭に05系が登場し、また半蔵門線が1989年(平成元年)1月に三越前まで延伸開業することから、保安装置の変更や運転台のワンハンドル化などの改造を受け、半蔵門線に転属した。
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