東西線5000系の検査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:11 UTC 版)
「千住検車区」の記事における「東西線5000系の検査」の解説
千住工場においては、日比谷線車両以外に1966年(昭和41年)2月 - 5月に東西線用5000系1次車(初期開業用3両編成6本)の重要部検査を施工した。東西線は1964年(昭和39年)に開業したが、東陽町延伸開業までは本格的な車両基地がなく、収容場所の不足から国鉄の三鷹電車区(現・JR東日本三鷹車両センター)の一部を借りるなどしていた。 この時に、5000系1次車の3両→7両編成化のため、新造の中間車4両×4編成分をあらかじめ千住車両基地に搬入しておき、検査出場の際に7両編成化した。検査出場および新車の公式試運転は日比谷線の南千住 - 上野間で実施した。 5000系の検査を千住工場で実施するため、中央線と山手線経由(豊田または三鷹→新宿経由品川→上野)で常磐線に入り、さらに北千住から東武伊勢崎線(当時、常磐線と伊勢崎線の線路は構内で接続していた)を経由し、折り返しのため草加まで下ってから、千住工場のある日比谷線南千住まで自力回送した(出場時は逆の経路となる)。 その後、1967年(昭和42年)4月からは竹ノ塚検車区で検査を実施をしたが、翌1968年(昭和43年)4月に深川工場が発足し、この輸送方式は解消した。
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