東京消防庁の特別救助隊
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「特別救助隊」の記事における「東京消防庁の特別救助隊」の解説
従来の火災による死者はその殆どが焼死者だったが、1932年に発生した白木屋火災では焼死者が0人、窒息死が1人に対して、墜落死が13人、負傷者が67人という大惨事となった。警視庁消防部(現在の東京消防庁)の神田消防署は、この火災を契機として1933年、救助車とドレーゲル式呼吸器や防煙マスクなどの救助資機材の寄贈を受け専任救助隊を新設し、本格的な人命救助活動(当時は主に火災現場での救助)を開始した。芝・麹町・本郷・下谷(現上野)・深川消防署にも試験的に配置された。しかし、太平洋戦争の影響で防空消防に全力をいれることになり廃止された。 東京消防庁は聖母の園養老院火災を契機として再び、人命救助の必要を認識したために1955年に専任救助隊制度を再度運用を開始した。 しかし、予想を超える重大事故が多発し救助要請が増えた事で、火災ではなく災害現場の人命救助に特化した部隊が必要と考え、東京消防庁は当時日本では救助機関がないために、それに近い訓練を行っていた習志野駐屯地の空挺部隊から技術を学び独自にレスキュー技術を完成させていった。 そして1969年に麹町消防署永田町出張所に特別救助隊(通称:レスキュー隊、愛称:東京レスキュー)を設置し、運用を開始した。永田町特別救助隊は後にホテルニュージャパン火災で活躍した精鋭として知られる。 さらに東京消防庁は、阪神・淡路大震災を教訓に大規模災害等に対応するため、1996年に特別救助隊等から選抜された特別な技術・能力持ち高度な救出救助能力を有する隊員や装備で編成される消防救助機動部隊(通称:ハイパーレスキュー)を創設した。2020年4月現在、都内に23隊の特別救助隊と5隊の消防救助機動部隊、1隊の即応対処部隊(2020年4月に本田消防署特別救助隊を配置転換)が設置されている。 詳細は「東京消防庁#特別救助隊」を参照 なお、1974年に渋谷・深川・三鷹・淀橋(当時)消防署にはしご車に救助資機材を積載したはしご特別救助隊が設置されたが1995年4月の深川消防署豊洲はしご特別救助隊を最後に廃止された。 東京消防庁では特別救助隊の養成に特に力を入れているために“最難関”と呼ばれる厳しい適任者選抜を通過し、更に“地獄”と評される「特別救助技術研修」を修了する必要がある(40日間かけて徹底的に叩き込まれるが、体力の問題や負傷等によりドクターストップがかかる落伍者も僅かにいる)が、修了したからといって直ちに隊配属となれる訳でもなく、特別救助隊に欠員が出るか、増員に伴ってやっと配属となる(まず、はしご隊等に配属されることも多い)。 なお、東京消防庁の特別救助隊は日本各地や台湾・中国の消防本部の救助隊や海上保安庁の特殊救難隊などの救助技術の指導を行っており創設に携わっている。 東京消防庁の特別救助隊の外見的な特徴としてはオレンジ色の救助服の左肩にはスイスで救助犬とし活躍したセントバーナード犬のバリー号がホースと筒先で囲まれた青色の紋章が刺しゅうされている点である(部隊により紋章がかわり、これがハイパーレスキューになるとセントバーナードがフック付きワイヤーに囲まれたゴールドの紋章となる)。救助車(東京消防庁では救助工作車と呼ばず救助車と呼ぶ)のドアにも同じマークがペイントされている。
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