本膳料理の形式
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本膳料理は主に式三献、雑煮、本膳、二の膳、三の膳、硯蓋からなり、大規模な饗宴では七の膳まであったとの記録もある。雑煮は初献に記されることがあるが、式三献と雑煮以下は場所を移している記録があることから、別物との説もある。本膳料理は七五三の膳を正式な形式としているが「七五三」の意味は本膳に7、二の膳に5、三の膳に3の菜が盛られる菜の数を示すとする説と、江戸時代の故実家・伊勢貞丈の『貞丈雑記』やジョアン・ロドリゲス『日本教会史』に拠る膳の数を示すとする説がある。 本膳料理は少なからず儀礼的な物であり、この後に能や狂言などの演技が行われつつ、後段と呼ばれるうどんや素麺といった軽食類や酒肴が出されて、ここで本来の意味での酒宴になった。なかには三日近く行われた宴もあったようだ。 膳組としては一汁三菜、一汁五菜、二汁五菜、二汁七菜、三汁五菜、三汁七菜、三汁十一菜などがあったとされる。もっとも基本的な形は、本膳には七菜(七種の料理)、二の膳には五菜(五種の料理)、三の膳には三菜(三種の料理)を配膳するものである。膳組の種類は菜の材料、さらに料理を盛る膳や器は客の身分・役職により変化し、身分の上下に伴い簡略化される。
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本膳料理の形式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 15:13 UTC 版)
本膳料理は御膳をいくつか手順に従って供する儀礼的な料理形式で、平安時代にその萌芽があり、室町時代の武家の礼法とともに発展し、江戸中期になって形式が整えられた。本膳料理の御膳の形式には一汁三菜や一汁二菜などがあり、飯と汁物を基本に、おかずとして煮物や焼き物、酢の物、和え物、漬物などが数点付く形式である(一汁三菜であれば3点)。本膳料理では他に、二汁五菜、三汁七菜、さらには三汁十五菜まであった。 懐石でも本膳料理の流れをくんで、まず飯と汁に加えて、向付(むこうづけ)と呼ぶ膾や刺身の1品が出される。次に煮物椀と呼ばれる煮物や吸物の1品が出され、そして焼き魚等の焼物の1品で、三菜である。会席料理でも懐石と同じく、向付、煮物椀、焼物の三菜が出され、飯と汁物は最後となることが多い。 ただし、本膳料理は江戸時代の日本人一般の日常的な食の在り方の形式ではなく、江戸に暮らしている一部の武家や有力町人のみにみられたにすぎない。少なくとも明治時代以降になると庶民も年中行事や祭礼、人生儀礼などの非日常的な場で一汁三菜形式の食事をとる機会が生まれ、そこから日常の食生活にも一汁三菜形式がもたらされ「和食」のイメージにつながったとする見方がある。
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