本膳料理の儀式性と引替膳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:36 UTC 版)
「本膳料理」の記事における「本膳料理の儀式性と引替膳」の解説
本膳料理に特徴的なのはこうした膳の多くが「見る」料理であり、神饌(しんせん)や仏供と同様に飯・餅などを「高盛」と呼ばれる飾り盛で供された。実際に食べる事ができる料理は決して多くは無かった。本膳料理が形骸化すると実際に食べる部分が少なくなったことから、食べるための膳として引替膳が編み出された。引替膳は室町時代には遡らず、天正9年(1581年)の織田信長が徳川家康を饗応した「御献立集」において見られる。 江戸時代には慶長12年(1607年)から文化8年(1811年)まで朝鮮通信使の来日が行われ、幕府や沿道諸藩による饗応では七五三・五五三の本膳料理が供された。この際にも引替膳が出された。
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