本膳料理の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 18:36 UTC 版)
鎌倉時代、武家の間には「椀飯」という正月に御家人から将軍に料理を献上する儀式があった。当初は鯉一匹など簡単な物であったが、室町時代になり武家の経済的政治的優位が確立し、幕府政治の本拠地も公家文化の影響が深い京に移るに至って、料理の品数も増え、料理自体にも派手な工夫が凝らされるようになった。 南北朝時代には公家の一条兼良(1402年 - 1481年)の往来物『尺素往来(せきそおうらい)』において本膳・追膳(二の膳)・三の膳の呼称が記され、「本膳」の言葉が出現する。また、室町時代には『蔭涼軒日録』長禄3年(1459年)に正月25日に将軍足利義政が御所において御煎点(ごせんてん)を行った際の饗膳が記されており、五汁二十五菜に及ぶ膳の数は疑問視されているものの、本膳料理の発達には寺社が携わっていたとも考えられている。 室町時代には主従関係を確認する杯を交わすため室町将軍や主君を家臣が自邸に招く「御成」が盛んになり本膳料理が確立した。本膳料理の確立に伴い、室町時代から江戸時代には「献立」の言葉が使用され、饗宴における飲食全体を意味した。
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