本佐倉線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:47 UTC 版)
田町車庫 - 京成佐倉駅 - 酒々井町役場 - 京成酒々井駅 JR佐倉駅 - 京成佐倉駅 - 酒々井町役場 - 京成酒々井駅 京成佐倉駅 - 酒々井小学校 - 京成酒々井駅1924年(大正13年)1月20日:[兼坂自動車]千葉駅〜並木〜神門〜京成佐倉駅が開通。(のち成田駅まで) 1943年(昭和18年)4月21日:京成となる。成東営業所担当。 昭和:千葉交通と相互乗入れを開始し、京成千葉駅〜成田山門前に延長。 1956年(昭和31年)12月14日:七栄線(国鉄佐倉駅〜京成佐倉駅〜酒々井局前〜七栄)が開通。 1960年(昭和35年)11月1日:馬橋線(田町車庫〜上本佐倉〜馬橋入口〜和田支所〜神門)が開通。 昭和:成田線が京成千葉駅〜京成成田駅に短縮。 昭和:千葉交通との相互乗入れを解消し、千葉線(京成千葉駅〜神門〜京成佐倉駅)と日赤線(国鉄佐倉駅〜京成佐倉駅〜日赤病院)に分割短縮。なお、千葉交通は京成成田駅〜国鉄佐倉駅の運行(佐倉線、現在廃止)となる。 昭和:七栄線が国鉄佐倉駅〜京成佐倉駅〜墨入口に短縮し、日赤線の一部となる。 昭和:馬橋線が京成佐倉駅〜馬橋入口に短縮され、日赤線の一部となる。 1987年(昭和62年):墨入口便が国鉄佐倉駅〜酒々井町役場経由京成酒々井駅折返場(暫定停留所であり、現停留所よりわずかに国道寄り)に行き先を変更される。 平成:京成酒々井駅停留所完成により、同停留所発着便が現位置まで延長され、日赤病院便が同停留所経由となる。 平成:京成酒々井駅〜酒々井小学校〜馬橋入口便が開通。 平成:日赤病院便が公津の杜駅経由となる。 2000年(平成12年)7月16日:ちばグリーンとなる。本佐倉線と呼称変更。 2003年(平成15年)2月1日:日赤病院便が田町車庫〜酒々井小学校〜伊篠に短縮。 2004年(平成16年)6月1日:伊篠便が京成佐倉駅〜酒々井小学校〜京成酒々井駅に短縮。 2008年(平成20年)3月1日:酒々井町役場〜中央台間に、プリミエール酒々井バス停開設。 2015年(平成27年)10月17日:土曜休日ダイヤを土曜と休日に分離し、休日を減便。さらに上本佐倉折返し系統を新設(休日のみ)。 本佐倉(もとさくら)線はJR佐倉駅、田町車庫、京成佐倉駅から京成酒々井駅に向かう路線である。全区間が京成電鉄本線に並行しているが、若干線路より離れたところを走っており、現在でも一定数の乗客は存在している。 同線はもともと成田線、佐倉市内線、馬橋線、七栄線という4つの路線が、それぞれ短縮されて一つの路線にまとまったものである。以下、平成初期までの各線の経緯を示す。 成田線は戦後まもなく千葉交通との相互乗入れを行うことで京成千葉駅〜成田山門前を運行していた。その後、路線長が長すぎることからか昭和40年代に京成は京成千葉駅〜京成佐倉駅、千葉交通は国鉄佐倉駅〜京成成田駅間の運行に分割された。ただし、京成にはこの他に佐倉市内線として、和田〜国鉄佐倉駅〜京成佐倉駅〜日赤病院間を運行していたので、これを国鉄佐倉駅または京成佐倉駅で分割し、日赤線として国鉄佐倉駅〜日赤病院間の運行を継続した。(和田〜京成佐倉間は和田線となり現在は神門線の一部となっている。)この便は、その後減便にこそなったが、平成初期まで区間をそのままに維持し続けた。 七栄線は1956年(昭和31年)に富里村(現・富里市)の中心地である七栄まで開通した。当時、七栄地区は千葉交通が既に路線を走らせており、京成が乗り入れたのは佐倉への足を新しく設けたかったということのようである。結局、京成としてはこの路線しかなかったことから中途半端な存在となり、あまり時を経ず(昭和40年代頃)に途中の墨入口までに短縮された。その後、ここで折り返すことがあまり効果的でなかったことや、酒々井駅西側の中央台が町として発展してきたことから、1987年(昭和62年)に、途中の横町(酒々井町)で方向を変え中央台経由で京成酒々井駅に向かうようにルートを変更した。なお、京成が七栄から撤退したことで、千葉交通が代替路線を運行したが、紆余曲折を経て結局廃止になってしまった。酒々井駅方面から七栄に至るバス路線は暫くなかったが、近年、富里市が運行させているコミュニティバス『さとバス』(千葉交通が受託運行)として運行を開始している。また以前は京成・JR酒々井駅〜酒々井プレミアムアウトレットを結ぶ路線が、横町や墨入口を経由するが、駅からアウトレットまでの間のノンストップである急行便となっていた。近年、このアウトレット系統の急行バスは、平日のみ全便が酒々井町役場に停車するようになったため、利便性が大きく向上した。 馬橋線は1960年(昭和35年)に開通し、当初は田町車庫〜上本佐倉〜馬橋入口(南酒々井駅のやや北)〜南酒々井駅〜和田支所〜神門という区間だった。このうち、馬橋入口〜和田支所〜神門間については佐倉市内線(のち、和田線)と重複する区間が長く、同線で輸送のほとんどをカバーできることから早々に短縮され、京成佐倉駅〜馬橋入口間のみとなり、日赤線の一部となった。これにより、独自区間は上本佐倉〜馬橋入口間だけとなった。しかし、この区間は途中停留所が新堤入口の一つしかなく、終点の馬橋入口停留所も南酒々井駅に近接していたため、独自便として運行する意味はあまりなく、平成初期には4往復の運行にすぎなかった。 以上を経て、平成初期にはJR佐倉駅・京成佐倉駅〜日赤病院・京成酒々井駅・馬橋入口として運行を行った。JR佐倉駅発着便も京成佐倉駅を経由していたが、京成駅付近の道路が一方通行であったため、迂回上に運行していた。そのルートを下図に示すが、JR佐倉駅行便については、印旛支庁停留所を二度通っていた。 本佐倉線の路線変遷(京成酒々井駅付近, その1) 本佐倉線の路線変遷(京成酒々井駅付近, その2) 本佐倉線の路線変遷(京成酒々井駅付近, その3) 本佐倉線の路線変遷(京成酒々井駅付近, その4) 本佐倉線の路線変遷(伊篠付近, その1) 本佐倉線の路線変遷(伊篠付近, その2) 本佐倉線の路線変遷(伊篠付近, その3)
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