景勝・観光地として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:53 UTC 版)
「滋賀県#観光」および「滋賀県の観光地」も参照 飛鳥時代の近江遷都以降、後述のように近江を舞台とした歌が数多く詠まれており、多くの歌人たちが近江を訪れ、琵琶湖と周囲の光景に感性を刺激されたことが推測できる。近江八景は、当初は文学的モチーフであったが、江戸時代中ごろには街道を通行する人が増えたこともあり、『名所記』『名所図会』といった挿絵入りの旅行案内書や浮世絵などをつうじて、全国の民衆に膾炙するようになった。 1889年(明治22年)の東海道線全線開通は、前述の鉄道連絡船の廃止に繋がり汽船会社の経営に打撃を与えたが、同時に京阪神から琵琶湖観光に気軽に訪れることを可能にもした。湖南汽船は1894年(明治27年)に大津と石山および坂本間の航路で湖上観光の営業を開始している。次いで太湖汽船も南湖 - 北湖間の航路運行を開始し、1895年(明治28年)には鉄道連絡船廃止時点のレベルまで業績を回復させるに至っている。本格的な湖上遊覧の嚆矢ともされる湖南汽船の「近江八景めぐり遊覧船」(1903年〈明治36年〉就航)に続き、、太湖汽船も遊覧観光船の建造を行うなどより湖上遊覧に力を入れることとなり、以降季節ごとの観光客誘致が展開された。1912年(大正元年)には京津電車の三条 - 札ノ辻間が開通し、京都方面からの観光客はさらに増加、2大汽船会社の競争もより激しく展開された。この時期には竹生島や長命寺への巡礼を含む観光が定着している。昭和に入ると琵琶湖ホテルの建設や湖水浴場の整備も進められ、太湖汽船と京阪電鉄によるマキノ・スキー場開設の翌年にあたる1930年(昭和5年)から1962年(昭和37年)にかけては、スキー客運ぶスキー船も運行された。 第二次世界大戦後の1950年(昭和25年)には琵琶湖が国定公園に指定されている。これに先駆け前年には、滋賀県民からの公募によって「琵琶湖八景」が選ばれ、翌1951年には観光船玻璃丸が就航した。1968年(昭和43年)のびわこ大博覧会以降は、琵琶湖の水質が悪化するなど、観光が軽視されるようになるが、びわこ国体で湖上輸送が試みられたのを機に、再度観光が顧みられるようになる。1982年(昭和57年)には玻璃丸を継ぐかたちで外輪船ミシガンが就航し、滞在型観光を目的としたリゾート・ネックレス構想や水上スポーツ施設の整備なども計画されたが、バブル経済の崩壊により計画は進まなかった。その後は、環境保全や歴史的文化資産の活用などの観点も取り入れた新しい観光スタイルが模索されている。2019年(令和元年)には琵琶湖岸を1周する200キロメートルの自転車ルートであるビワイチが、ナショナルサイクルルートの第1弾として指定された。
※この「景勝・観光地として」の解説は、「琵琶湖」の解説の一部です。
「景勝・観光地として」を含む「琵琶湖」の記事については、「琵琶湖」の概要を参照ください。
- 景勝・観光地としてのページへのリンク