景勝・旧跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 09:55 UTC 版)
イマームザーデ:中世以来の廟が数多く点在する。イマームザーデ・アリー・サーレフ、イマームザーデ・セイイェド・アーベド、イマームザーデ・セイイェド・アクバル、イマームザーデ・セイイェド・ファフロッディーン、イマームザーデ・セイイェド・ナーセロッディーン、イマームザーデ・イブラーヒーム、イマームザーデ・アッバース、イマームザーデ・アブドッラー、イマームザーデ・ピール・モハンマド、イマームザーデ・バーバー・セイフォッディーン、イマームザーデ・メフディー・サーレフ、イマームザーデ・イブラーヒーム・ゲタール、イマームザーデ・セイイェド・ハサン、イマームザーデ・セイイェド・サラーヘッディーン・モハンマド、イマームザーデ・ハーッジ・バフティヤール、イマームザーデ・ハーッジ・ハーゼル、イマームザーデ・ジャビール ゾロアスター教神殿(総数10):サーサーン朝期からのもの。現在は廃墟。スィヤーフゴル・イーワーン、チャハール・タギー(在ダッレ・シャフル) 城塞(総数90):ガルエ・ワリー(ガージャール朝)、ポシュト・ガルエ・チョウル、ガルエ・パーゲラ・チェキャルブーリー・ガルエ・ファラーハーティー(ガージャール朝)、シヤーグ城塞(在デフロラーン、サーサーン朝)、イスマーイール・ハーン城塞、サーム城塞(アルサケス朝後期)、プール・アシュラーフ城塞、ミール・ゴラーム・ハーシェミー・ガルエ、ポシュト・ガルエ・アーバダーナーン(サーサーン朝)、コンジャーチャーム城塞、シーリーン・ファルハード・イーワーン(在メフラーン、アルサケス朝)、ヘザール・ダル城塞(サーサーン朝)、シェイフ・マーカーン城塞(サーサーン朝)、ゼイナル城塞 サーサーン朝期の古橋(総数5) サーサーン朝期など古代からの遺跡(テッペなど。総数224) 古代のレリーフ(総数8) 古代集住地遺跡(総数22) 泉、洞窟、生態保護区(3)、州立公園など
※この「景勝・旧跡」の解説は、「イーラーム州」の解説の一部です。
「景勝・旧跡」を含む「イーラーム州」の記事については、「イーラーム州」の概要を参照ください。
景勝・旧跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 14:49 UTC 版)
イラン文化遺産協会にはフーゼスターン州から140ヵ所が登録されている。イラン最古の帝国故地であることの反映である。 チョガ・ザンビール:エラムの故地。このジッグラトは今日中東に残る遺跡でも有名なものの一つで、五伝説に残る神殿。巨大な数千のレンガによる迷宮的な壁とモノリスにはエラムの碑銘があり、古代の実態を伝えている。神殿は聖地であり、スーサの都市神イーンシューシーナクを顕彰するものである。 「シューシュ・ダニエル」:ユダヤの預言者ダニエルの廟所とされる。ダニエルはキュロス大王に尊ばれ、ダーラヤワウ大王の命によりエルサレムに向かう途上、スーサで亡くなったといわれる。ウマイヤ朝の圧制に反抗して立ち上がったヤアクーブ・イブン・ライース・アッ=サッファールの墓もこの近辺。 デズフール(「デズフ・ポル」):デズ川の橋(ポル)を意味する。12の迫持をもちシャープール1世の命により築造された。同じ橋をイスタフリーなどの史家は「アンダメシュ橋」ともいい、ここから街を「アンディーメシュク」としている。ムカッダスィーは「橋の街」と呼んでいる。 シューシュタル:イランでも古い城塞都市の一つ。方言で「40長老の街」の意。シューシュタルの金曜モスクはアッバース朝のもの。ローマ風のアーチを持ち54の列柱がある。 イーゼ(「イザジュ」):イスラーム勢力のペルシア征服における主要目標の一つ。「ハレザード橋」という非常に代わった橋があり、鋳造鉛の104mの高さの橋脚を持ち、アルデシール・バーバカンの母の名をとっている。14世紀に訪れたイブン・バットゥータは修道院、キャラヴァンサラーイ、水道、マドラサ、城塞に言及している。イラン国立博物館蔵の「パルティア人」真鍮像はここから出土。 マスジェデ・ソレイマーン:古代からの都市。「サル・マスジェド」や「バルド・ネションデ」などのゾロアスター教神殿がある。バフティヤーリーの冬営地で、ウィリアム・ノックス・ダーシーが、イラン最初の油田を採掘した場所でもある。 アーバーダーン:預言者エリヤの墓があるといわれる。 「ヘルメスのイーワーン」および「キャルヘのイーワーン」:スーサの北にある詳細不明の遺跡。
※この「景勝・旧跡」の解説は、「フーゼスターン州」の解説の一部です。
「景勝・旧跡」を含む「フーゼスターン州」の記事については、「フーゼスターン州」の概要を参照ください。
- 景勝・旧跡のページへのリンク