昭和・戦前戦中とは? わかりやすく解説

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昭和・戦前戦中

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 01:33 UTC 版)

日本近代史」の記事における「昭和・戦前戦中」の解説

政体立憲君主制 天皇昭和天皇第124代天皇内閣総理大臣内閣総理大臣の一覧昭和戦前参照歴代内閣日本国歴代内閣(昭和戦前戦中)を参照 国際社会多極体制 関東大震災後1927年昭和2年)には、関東大震災の手形の焦げ付き累積し、それをきっかけとする銀行への取り付け騒動生じ昭和金融恐慌となった若槻禮次郎内閣鈴木商店不良債権抱えた台湾銀行救済のために緊急勅令発しようとしたが、枢密院反対に会い総辞職した。あとを受けた田中義一内閣は、高橋是清蔵相の下でモラトリアム支払い停止令)を発して全国銀行一斉休業日銀からの緊急貸し出しによって急場しのいだ。 又、1925年大正14年)には、中国では孫文の後を蔣介石継ぎ国民政府軍北伐中国革命中国北部軍閥勢力平定すること)を開始して華北進出した田中内閣このため3回に及ぶ山東出兵行い東京外交軍部関係者集めて東方会議開き満蒙利害死守することを確認した。これに基づいて政府満州実力者張作霖交渉し満洲権益拡大図ったが、張は応じず、関東軍は張の乗る列車爆破して暗殺した関東軍当初この事件中国国民政府軍の仕業だと公表したが、実際関東軍参謀河本大作仕業であったため国内野党から満州某重大事件」として追及された。田中昭和天皇事件調査約束しながら、陸軍突き上げによって事態曖昧にようとしたため、天皇から説明聞きたくないと不快を表明され田中内閣このため総辞職した田中内閣はもともと前の大正政変生まれた護憲三派内閣、特に幣原外交中国内政不干渉政策を「軟弱外交」として批判して登場した。従って田中義一は自ら外相兼任し中国での革命進展に対して強く干渉した。しかし中国での武力行使対す列国批判をかわすためもあって、1928年昭和3年)に、パリ締結されいわゆるパリ不戦条約には調印した。ただこの不戦条約は、第1条で「人民ノ名ニ於テ」戦争放棄することをうたっており、天皇ないがしろにするものとする批判国内生じたため、新聞紙上で侃々諤々論議が行なわれた末、翌年至って批准された。また、田中内閣国内思想取締強化はかったことでも知られている。特に普選実施後予想外進出示した無産政党共産党対す弾圧強め同年三・一五事件翌年四・一六事件起こして共産党系の活動家同調者大量検挙行なったその間緊急勅令により、治安維持法改正して最高刑を死刑とした。

※この「昭和・戦前戦中」の解説は、「日本近代史」の解説の一部です。
「昭和・戦前戦中」を含む「日本近代史」の記事については、「日本近代史」の概要を参照ください。

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