明法道
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明法道(みょうぼうどう)とは、古代日本の律令制の元で設置された大学寮において、律令法(法学)を講義した学科。
- ^ ただし、律と令では扱いが違い、『延喜式』では律は中経、令は小経とされて、前者の方が重要視されていた。
- ^ ちなみに、この甲第・乙第の叙位規定は律令制定時から存在していた算道・書道の規定と同じである。
- ^ 天安2年(858年)に検非違使庁に志(四等官の主典に相当する)が設置された際に、明法道出身者に役職が割り当てられ、「道志」(どうし/みちのさかん)と称された。
- ^ 検非違使庁においても、明法道出身の道志が判決に相当する「着鈦勘文」及びその前提となる「贓物勘文」(盗んだ品物の総額が当時の代用貨幣であった布に換算していくらに相当するのかを算定するための勘文)の作成を行っている。
- ^ ただし、明法道の家学化・明法博士の世襲化に大きな影響を与えたとされる坂上定成以後の中原氏と坂上氏の養子縁組の過程を巡って諸説があり、この系統から中原氏を名乗る者と坂上氏を名乗る者の両方が出るなど複雑な経過を辿っている。また、この系統とは関係ないとみられる中原氏の明法博士も存在している。
- ^ 建久2年(1191年)には短期間(4月1日-11月5日(ともに宣明暦))ながら明法博士に任じられている。
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