明治中・後期とは? わかりやすく解説

明治中・後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 16:01 UTC 版)

浅虫温泉」の記事における「明治中・後期」の解説

1891年明治24年)に東北本線全通し東京青森鉄路結ばれ浅虫駅開業した。これが原動力となり、温泉地徐々に発展始めた温泉地に駅ができたことで単に交通の便がよくなったというだけでなく、本州北海道とを行き来する旅客長距離移動途中で体を休めたり津軽海峡時化足止めとなった場合滞在地となった1902年明治35年)の八甲田雪中行軍遭難事件生存者や、1904年明治37年)から1905年明治38年)の日露戦争傷痍軍人らが浅虫温泉送り込まれ温泉の名が青森県民以外にも知られるようになった1909年明治42年)には旧日本陸軍第2師団仙台)と第8師団弘前)により、浅虫転地療養所が設立された。 同じ頃から、周辺では馬場山散策コース整備が行われ、観光客誘致取り組み始まった1911年明治44年)には「浅虫八景」を選定し絵葉書新聞利用した宣伝行われた1907年明治40年)の時点では、温泉地には旅館7軒、温泉客舎15共同浴場2、商店33となり、貨物運送業者、郵便局電信局電話局もあり、人口1000を超す街となった

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明治中後期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 09:27 UTC 版)

日本の警察官」の記事における「明治中後期」の解説

1881年明治14年)、警視庁が再置され、内務省本省から独立した警視庁の長は警視総監となり、この官名は現在に引き継がれている。警視庁初期には警視副総監巡査総長など現在とは異なる名称の職も置かれたが、数度改正経て1891年明治24年)には警視総監 - 警視 - 警部 - 巡査の形となった東京府以外の府県では、1881年警部長 - 警部 - 警部補 - 巡査の形となった警察部門の名称は、警察本署から警察本部警察部改められたが、警部長が引き続いてその長となった1905年明治38年)の警部廃止後は警務長が置かれ警察部長たる事務官充てられた。台湾朝鮮外地には、巡査の下に巡査補の階級置かれ台湾人朝鮮人巡査補に任命された。 1890年明治23年) - 巡査部長設置警部補廃止警部吸収)。 1900年明治33年) - 府県警視設置1924年大正13年)に地方警視改称)。 1910年明治43年) - 警部補を再び設置

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