早大入学へとは? わかりやすく解説

早大入学へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:31 UTC 版)

森田必勝」の記事における「早大入学へ」の解説

1966年昭和41年3月必勝早稲田大学教育学部国語国文学科受験合格した。兄・治が入学費用生活費出してくれ、上京した必勝渋谷区西原町3丁目36下宿住まい始めた代々木にはシナリオ専門学校入学した同郷友人塩竹政之がいた。 大学内は全共闘暴れていたため、5月延期となった入学式に、必勝羽織袴高下駄という応援団長のような姿で出席し入学記念アンケート好きな言葉として、〈我事に於て悔いず〉と答えた空手部に入部した森田は、年長者だったこともあり、クラス委員選出された。この頃学内暴れ続け左翼対す憎しみ増し、〈授業受けたい学生がたくさん居るのに、共闘会議何の権利があってバリケード築けるのだろう? ヤツラ方法僭越思えてならない力ずくでもバリケードを除く勇気ある学生はいないのか? 早稲田精神死んだのか!〉と憤懣記した5月必勝は、革マル反日共系)、民青日共系)ら左翼壟断するクラス委員総会の席で、民族派右翼青年斉藤英俊出会った喫茶店ジュリアン」(大学院生矢野潤が経営)で2歳年上斉藤からいろいろ話を聞いた必勝は、〈いい先輩知り合えて、今日一日中爽快だ〉と記した。 きのうクラス委員会で、早稲田精神丸出し勇敢な先輩知り合った総会で、革マル一方的な議事進行と、独善的な議事内容怒って革マルヤツらに単身喰ってかかっていた。(中略左翼対決し学園正常化のために奮闘しているグループがあることを初めて知る。それでこそワセダ精神だ! — 森田必勝昭和41年5月某日同年11月必勝キャンパス再会した斉藤誘われ左翼牛耳られ早稲田正常化目指す民族派学生組織日本学生同盟」(日学同)の結成11月14日)に参加することになった。この同盟参加に、〈俺の血が騒ぎ出した必勝は、「本部」と呼ばれる日学同事務所のある新宿区早稲田町36番地の二階建ての家に引っ越すことになった日学同には宮崎正弘持丸博阿部勉伊藤好雄も参加し全国39大学72サークル集結していた。この頃、彼らは機関紙日本学生新聞』の創刊向けて準備していた。必勝夕方毎日新聞発送アルバイトをして生活費稼ぎながら、『古事記』『日本書紀』読み建国記念日由来学んでいた。 日文研日本文化研究会)でも早稲田祭で「紀元節考」の展示をやったが、ぼくらも少し民族正気回復のために役立ったのだろう。(中略)しばし「古事記」や「日本書紀」の由来日本人祖先について討論先輩達博識におどろいた考えてみれば、ぼくらの高校歴史教科書は、民族ロマンなんかぜんぜん教えてくれなかった。日教組悪いことにして先輩達質問集中。 — 森田必勝昭和42年1月某日一方1967年昭和42年1月5日豊島区にある育誠社という出版社から民族派月刊誌論争ジャーナル』(編集長中辻和彦副編集長万代潔)が発刊された。中辻万代3日1度の割で作家三島由紀夫訪問していた。 同じ平泉澄門人中辻付き合いのある持丸博も同じ頃に三島訪問し2月創刊する日本学生新聞』に寄稿依頼した三島同年4月12日から5月27日まで単身自衛隊体験入隊し民兵組織「祖国防衛隊」構想固めていた(詳細三島事件#三島由紀夫自衛隊参照)。

※この「早大入学へ」の解説は、「森田必勝」の解説の一部です。
「早大入学へ」を含む「森田必勝」の記事については、「森田必勝」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「早大入学へ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「早大入学へ」の関連用語

早大入学へのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



早大入学へのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの森田必勝 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS