早大出身力士、角界入りとは? わかりやすく解説

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早大出身力士、角界入り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 23:51 UTC 版)

笠置山勝一」の記事における「早大出身力士、角界入り」の解説

1911年1月7日奈良県生駒郡(現:奈良県大和郡山市)で生まれる。小学生の時から相撲で活躍し小学6年生では大阪毎日新聞社主催した奈良県学童相撲で優勝する実力身に付けた。奈良県立郡山中学校では相撲離れて柔道部所属していたが、1928年常陸山谷右エ門叔父である内藤高治推薦出羽海部屋入門した。しかし、学業修了していなかったため、東京早稲田中学校転校して部屋から中学校へ通う生活を続けていた。早稲田中学校でも柔道部所属したが、大きな身体見込まれ早稲田第一高等学院文科進学してからは大学相撲大会にも出場した。 それでも相撲部合宿部屋巡業参加し始めると学業支障をきたすようになったので、1930年早稲田大学専門部政治経済科へ転入し相撲で大会で団体優勝貢献するなど、全国的に名が知れ渡った出羽海からは「大学卒業するまでは本場所土俵踏まないように」と厳しく言われていたが、春秋園事件によって職業力士への転向申し出る出羽海特別に初土俵許可したことで、1932年2月場所において幕下付出初土俵踏んだ四股名笠置山出羽海命名した1933年1月場所新十両昇進を果たすが、早稲田大学卒業する前に昇進していたため、関取として卒業式には正装である大銀杏結って出席した1935年1月場所では11全勝での十両優勝果たし同年5月場所新入幕果たしたそれ以降順調に出世し1937年1月場所関脇昇進した三役通算で3場所務めたがいずれも10敗と大きく負け越したため、1場所で平幕降格となった

※この「早大出身力士、角界入り」の解説は、「笠置山勝一」の解説の一部です。
「早大出身力士、角界入り」を含む「笠置山勝一」の記事については、「笠置山勝一」の概要を参照ください。

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