早大時代
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早稲田大学に進学し、競走部に所属。インターハイ日本人1位・2位(三田裕介)・3位(中山卓也)が同大学に進学することになり、メディアを中心に話題となった。かつての早稲田三羽烏(花田勝彦・武井隆次・櫛部静二)の再来と期待され、同学年で早稲田入学後に頭角を現した矢澤曜を含めて「ビッグ4」と称された。2008年、大学1年時は関東学生陸上競技対校選手権大会、日本学生陸上競技対校選手権大会に出場したが、不本意な結果に終わった。第20回出雲全日本大学選抜駅伝競走では1区を任されたが、区間17位の大ブレーキとなり大学駅伝デビューはほろ苦いものとなった。2009年、第85回箱根駅伝では7区を走り、区間2位の走りでトップで襷を渡したものの2位の東洋大学に差を詰められ、早稲田大学は8区で逆転され総合2位となった。2009年、大学2年時は第86回箱根駅伝で5区を任されるも区間9位に終わった。2010年、大学3年時の第79回日本学生陸上競技対校選手権大会では1500m2位・5000m5位の2種目入賞を果たした。10月には早稲田大学競走部主将に就任した。第22回出雲全日本大学選抜駅伝競走では3区区間賞の走りでチームは優勝。第42回全日本大学駅伝対校選手権大会では3区区間3位の走りでチームは優勝。第87回箱根駅伝では9区区間2位の走りで総合優勝を果たし、史上3校目の大学駅伝3冠を達成した。2011年、大学4年時には関東インカレ1500mで優勝。早稲田大学は70年ぶりに総合優勝を果たした。ここから大きな故障に悩まされ日本インカレを欠場するも、チームは総合優勝し関東インカレ・前年度の大学駅伝3冠を含め史上初の5冠を達成した。しかし故障は長引き第88回箱根駅伝は欠場を余儀無くされる。「ビッグ4」は三田も欠場、中山は既に競走部を離脱しており、最終学年で出場したのは矢澤だけであった。
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