早大野球部監督時代、その後
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「佐藤清」の記事における「早大野球部監督時代、その後」の解説
1995年に母校である早大の第15代監督に就任した。 早大監督時代の選手育成能力は高く評価されており、荒井修光・三澤興一らのプロ選手のほか多くの教え子が社会人野球で活躍した。特にかずさマジックの元主砲・矢口健一は、グラウンド整備に使うトンボとグラウンドの塀を使って素振りさせるなど独特の指導で長距離打者の素質を開花させた。このほか日本文理大学を大学選手権優勝に導いた中村壽博、三本松高等学校を甲子園出場に導いた田中成明(後に佐藤の下、城西国際大でコーチ)らも門下生である。 1999年3月に監督を退任。早大では4年8シーズンにわたって指揮を執ったが、勝率差で優勝を逃すこと2回、法大・明大に阻まれて優勝は果たせなかった。佐藤の後を受けた野村徹は、就任直後の1999年春季リーグ戦での優勝を、清の指導のおかげであるとして感謝を忘れなかった。 その後は社業の傍ら選抜高等学校野球大会の選考委員などを務め、2007年から城西国際大学硬式野球部の監督に請われて就任、9年ぶりにユニフォームに袖を通した。2010年のドラフト会議にて、黒沢翔太が千葉ロッテマリーンズから育成1位で指名を受けて入団。2015年には春季リーグ優勝を飾り、全日本大学野球選手権大会に初出場すると同年のドラフト会議では支配下選手として宇佐見真吾、卒業後に社会人野球へ進んだ野川拓斗も指名された。2019年春は大学選手権に出場してベスト8、秋は関東地区大学野球選手権大会を制して明治神宮野球大会に初出場するとベスト4進出を果たした。 2021年3月末で城西国際大学の監督を退任し、翌4月より早稲田摂陵高校野球部の監督に就任した。
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