旧動労系との対立とJR連合の結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 22:00 UTC 版)
「日本鉄道労働組合連合会」の記事における「旧動労系との対立とJR連合の結成」の解説
やっと成立したJR総連だが、実態は長年対立を繰り返してきた組合の寄り合い所帯で、かつて正反対の立場にいた旧鉄労と旧動労との2大勢力によって主導権争いが起こり、JR総連は何度も分裂の危機を呈していた。組合の主導権自体は数で勝る旧動労系が握っており、旧鉄労系はたびたび旧動労系を批判していた。 この2者の対立が決定的となったのは、国労組合員でJRに採用されなかった1,047人の採用問題の判決がきっかけである。JR側が彼らを採用しなかったのは不当労働行為であるとして、地方労働委員会が訴えを認めてJRへの採用を命じた。しかし、命令を受けたJR北海道、JR東日本、JR東海、JR貨物はこれを拒否し、JR総連もこれまでの経緯から反対の姿勢をとった。 さらに旧動労系が多数を占めるJR東労組などでは、「分割民営化に反対し妨害した国労の再採用絶対反対」を掲げて集会が開かれ、再採用反対のために「スト権の再確立」を打ち出した。これにより旧動労の「再武装」に反対する旧鉄労系と旧動労系との対立が決定的となり、1991年5月には鉄労系が多数派を占めるJR西労組からの動労派の脱退、8月には同じくJR東海労組からの動労派の脱退が続いた(この時の旧・JR東海労組が現・JR東海ユニオンである)。さらにJR西労組、JR四国労組、JR九州労組がJR総連を脱退し、JR東海ユニオンと合流、1992年5月18日、国労を脱退した日本鉄道産業労働組合総連合(鉄産総連)と組織統合をして日本鉄道労働組合連合会が発足する。JR総連には旧動労系のJR東海労働組合(略称:JR東海労)・JR西日本労働組合(略称:JR西労)が結成され参加した。 これにより、JR東海、西日本、四国、九州の各社でJR連合は最多数の組合になったものの、JR東日本やJR北海道、JR貨物では少数派となっている。また旧鉄労系は国労の民同右派が、鉄産総連は民同左派をそれぞれ淵源としていて、1951年の「平和3原則」をめぐる国鉄民同の分裂以来40年余を経て旧民同系が再統一されることとなった。 JR連合は、JR総連を革マル派の影響下にあり、JR総連系が多数派を占めるJR東日本やJR北海道において会社がJR総連系の組合に「異常に偏重する労政」が行われていると主張し、革マル派の排除・暴力追放などの「民主化闘争」を進めており、国労とも「民主化闘争」で共闘するケースがある。一方、JR総連側は、JR連合系が多数派を占めるJR東海やJR西日本において、JR福知山線列車事故の要因ともなった日勤教育や、JR連合系以外の組合に所属する者に対し昇進等の差別が行われていると批判している。 2013年12月16日にジェイアール東日本労働組合(ジェイアール東日本ユニオン)とジェイアール労働組合(JR東労組から脱退した構成員が主体)が統一し、JR東日本労働組合(東日本ユニオン)が発足したが、両者が過去に鋭く対立した経緯から各地で大量脱退や仙台地本の委員長や書記長が辞任、新潟地本では統一大会すら開催できないなど組織混乱が発生した。さらに、JR連合はJR東日本労働組合の委員長に制裁を科し、東日本ユニオンの組合員数は1,200人弱に激減した。また、東日本ユニオンはJR連合への正加盟が認められなかった。その後も東日本ユニオンは正加盟の申請を続けていたが、2015年に正加盟の申請が認められないことを理由にJR連合との関係を一旦白紙に戻すとした。現在は、JR東日本労働組合を脱退した一部組合員が設立した、ジェイアール・イーストユニオンがJR連合に正加盟している。また、2018年以降はJR東日本において会社側が労政をそれまでとは180度転換したことによって、JR東労組は組合員の大量脱退が相次ぐことになるが、JR西労組やJR東海ユニオンがJR連合を結成した頃とは時代が違い、国鉄時代の労使関係を全く知らない若い世代が増え、若者の労組離れなどといった若い世代の価値観の変化もあって、2018年以降にJR東労組を脱退した者はどの組合にも加入しない者が多く、ジェイアール・イーストユニオンなどのJR連合系の労組も、JR東労組脱退者の受け皿にはなりえていないというのが実情である。
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