日本語版出版を巡る経緯
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「プリンセス・マサコ」の記事における「日本語版出版を巡る経緯」の解説
日本語版は2007年3月に、講談社から発売される予定であった。同年2月、日本の宮内庁と外務省は、本作品の内容に重大な事実誤認があるとして、著者に抗議した。宮内庁は、著者が本作品において「皇室が出席する行事に対して『無意味で形式的』との決め付け」や「皇室によるハンセン病問題への関与に対しての無視」を行っているとして、特に後者についての著者の見解を求める公開質問を行った。 2月13日、外務省は会見を開き、駐オーストラリア大使を通じてオーストラリア外務貿易省副次官に抗議文を渡すとともに、宮内庁侍従長署名の抗議文も合わせて提出したと発表した。外務省報道官は会見で次のように述べた。 『日本国の象徴』であり『日本国民統合の象徴』としての立場にある天皇陛下をはじめとする皇室の方々、更には日本国民を侮辱するとともに、実態と乖離した皇室像を描いていることについて、日本政府としてこのような書物を看過することはできないということで抗議を行った。 これについて著者は、「私を威圧する企てには断固として応じないし、でたらめや私の本についての事実誤認についても応じる気はない」と述べ、謝罪を拒否した。さらに、宮内庁を雅子妃の健康状態についての責任があると告発した。 アデレードでの著者の講演会に対し、外務省在メルボルン日本国総領事館が講演を中止するよう圧力をかけたと著者が主張した。加来至誠メルボルン総領事はマイケル・ダンフィー日濠友好協会会長に対し、同書には事実誤認があり皇族に無礼であるという個人的見解を、友人として個人的に伝えたと認めたが、総領事館が圧力をかけた事実はないと日本側は主張した。 2月16日、講談社は上記のような著者の態度について「原書の明らかな事実誤認に対して、著者がマスコミの取材に『修正、謝罪する必要はない』とした姿勢は容認できるものではない」「版元と著者との信頼関係を保つことができない」と判断し発売の中止を決めた(翻訳作業中に原書に事実誤認が多数見つかり、著者の了解を得た上で再調査・修正を経て、日本語版の原稿はほぼ完成していたとしたとしている)。これに対して著者は、表現の自由に対する攻撃だとして反発、さらに日本政府について、「検閲を行った上に講談社に出版を止めるよう圧力をかけた」と非難した。 最終的に日本語版は2007年8月に第三書館から出版された。これについてすべての全国紙、主要な地方紙と雑誌が本書の広告掲載を拒否した。『朝日新聞』は掲載拒否について「公の機関の反応も鑑み」と弁明した。日本の戦後言論出版史において、メディアが右派・左派ともに一斉に広告の掲載拒否をした前例はない。ただし『日刊ゲンダイ』は広告と書評を掲載し、また『週刊金曜日』、『世界』(岩波書店)、『ちくま』(筑摩書房)の3誌が広告を掲載した。 著者のベン・ヒルズは来日し、2007年9月21日に日本外国特派員協会で記者会見を行った。出席者はヒルズのほか、北川明(第三書館社長)、藤田真利子(『プリンセス・マサコ』訳者)、野田峯雄(『「プリンセス・マサコ」の真実』著者)、なだいなだ。会見ではヒルズが、「講談社は勝手に原書から記述を149ヶ所も削除した」と述べ、同社を批判したほか、北川も、6大新聞が広告掲載を拒否したことについて不満を述べた。
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