日本油脂専用鉄道
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「西武モハ101形電車」の記事における「日本油脂専用鉄道」の解説
日本国有鉄道(国鉄・当時)武豊線武豊駅から日本油脂(現・日油)愛知事業所管内の各工場を結ぶ専用鉄道(延長3.1km、架線電圧550V)における従業員輸送用車両の近代化目的で、1961年(昭和36年)8月にモハ103・クハ1113(いずれも2代)の2両が譲渡され、同社モ101・ク102として導入された。譲渡に際しては床面高さ変更のほか、モ101については両運転台化ならびに前述豊橋鉄道に譲渡された車両と同様に車体延長改造を施工した。なお、同2両は他社向け譲渡車両において施工された乗務員扉増設は行われなかった。1983年(昭和58年)に工員輸送列車が廃止となったことに伴って2両とも用途を失い、1986年(昭和61年)3月には同専用鉄道そのものが全線廃止となった。 専用鉄道廃線後はモ101が愛知県知多郡武豊町内の長尾児童館に、ク102が同町内の東大高交通児童公園にそれぞれ静態保存され、モハ101形・クハ1111形における唯一の現存例となっている。
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日本油脂専用鉄道
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上記のうち日本油脂専用鉄道は、駅から駅付近にある同社第一工場(現・衣浦工場)を経て駅から2 km以上離れた第三工場(現・武豊工場)までを結んでいた。途中には、名鉄河和線や南知多道路との立体交差(アンダーパス)もあった。1923年(大正12年)に運輸を開始し、1986年(昭和61年)3月に廃止された。 同線は直流550 Vで電化されており、貨物列車が電気機関車で牽引され、さらに従業員輸送用の電車も運行されていた。1979年(昭和54年)時点で、従業員輸送電車は朝夕に2往復、貨物列車はその間に6往復運行されていた。 帝国火薬工業時代には専用鉄道を地方鉄道に転換し、さらに内海町まで延伸する計画もあった。三浦逸平を発起人総代とする武豊内海鉄道(旧・知多電気鉄道)が同区間の敷設免許を1927年(昭和2年)6月25日に取得し、1928年(昭和3年)7月9日には帝国火薬工業に免許を譲渡したが、計画は進展せず、1935年(昭和10年)6月28日の免許失効により幻となった。 1979年(昭和54年)時点で使用されていた車両は以下のとおり。 機関車(デキ1・デキ2) - 自重13トンの凸型電気機関車。デキ1は1940年(昭和15年)に日立製作所が製造、デキ2は1950年(昭和25年)に神鋼電機が製造した。 電車(モ101・ク102) - 1961年(昭和36年)8月に西武鉄道から購入した従業員輸送用電車。前者は電動車、後者は付随車である。どちらも元西武鉄道モハ101形。 貨車 - 専用鉄道内専用で社有のタンク車1両、無蓋車5両が所属。 専用鉄道の架線柱。廃線後も電柱として使用されている(2021年)
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