日本油脂専用鉄道とは? わかりやすく解説

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日本油脂専用鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 17:33 UTC 版)

西武モハ101形電車」の記事における「日本油脂専用鉄道」の解説

日本国有鉄道国鉄当時武豊線武豊駅から日本油脂(現・日油愛知事業所管内の各工場を結ぶ専用鉄道延長3.1km、架線電圧550V)における従業員輸送用車両近代化目的で、1961年昭和36年8月モハ103クハ1113いずれも2代)の2両が譲渡され同社101・ク102として導入された。譲渡に際して床面高さ変更のほか、モ101については両運転台ならびに前述豊橋鉄道譲渡され車両同様に車体延長改造施工した。なお、同2両は他社向け譲渡車両において施工され乗務員増設行われなかった。1983年昭和58年)に工員輸送列車廃止となったことに伴って2両とも用途失い1986年昭和61年3月には同専用鉄道そのもの全線廃止となった専用鉄道廃線後はモ101愛知県知多郡武豊町内の長尾児童館に、ク102が同町内東大高交通児童公園それぞれ静態保存され、モハ101形クハ1111形における唯一の現存例となっている。

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日本油脂専用鉄道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:52 UTC 版)

武豊駅」の記事における「日本油脂専用鉄道」の解説

上記のうち日本油脂専用鉄道は、駅から駅付近にある同社第一工場(現・衣浦工場)を経て駅から2 km以上離れた第三工場(現・武豊工場)までを結んでいた。途中には、名鉄河和線南知多道路との立体交差アンダーパス)もあった。1923年大正12年)に運輸開始し1986年昭和61年3月廃止された。 同線は直流550 Vで電化されており、貨物列車電気機関車牽引され、さらに従業員輸送用電車運行されていた。1979年昭和54年時点で、従業員輸送電車朝夕に2往復貨物列車その間に6往復運行されていた。 帝国火薬工業時代には専用鉄道地方鉄道転換し、さらに内海町まで延伸する計画もあった。三浦逸平発起人総代とする武豊内海鉄道旧・知電気鉄道)が同区間敷設免許1927年昭和2年6月25日取得し1928年昭和3年7月9日には帝国火薬工業免許譲渡したが、計画進展せず1935年昭和10年6月28日免許失効により幻となった1979年昭和54年時点使用されていた車両以下のとおり機関車デキ1・デキ2) - 自重13トン凸型電気機関車デキ1は1940年昭和15年)に日立製作所製造デキ2は1950年昭和25年)に神鋼電機製造した電車(モ101・ク102) - 1961年昭和36年8月西武鉄道から購入した従業員輸送用電車前者電動車後者付随車である。どちらも西武鉄道モハ101形貨車 - 専用鉄道専用社有タンク車1両、無蓋車5両が所属専用鉄道架線廃線後電柱として使用されている(2021年

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