日本文化と太子信仰とは? わかりやすく解説

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日本文化と太子信仰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:46 UTC 版)

太子信仰」の記事における「日本文化と太子信仰」の解説

太子講節で職人との関わり記述したように、太子信仰庶民への広がりをみせると同時に様々な文化発祥関連する伝承生み出し祖神守護神として祀られた。 華道は、室町時代六角堂僧侶創設したとされ、最も古い流派とされる池坊家元代々六角堂住職務めている。近世成立した伝承では、太子の命で出家した小野妹子六角堂入り仏前に花を供えたことが華道発祥としている。 和紙や墨の製作者所在にも太子信仰見られる。『書紀推古天皇18年条は高句麗僧曇微が製紙技術や墨の製法伝えたと記すが、この記述太子事績とされるようになり「和紙作りの祖」などと祀られるようになった。 香との関わりでは、『書紀推古天皇3年条に香木漂着した旨の記述がある。これには「発見した島民朝廷献上した」とだけ記されているが、『伝暦』ではさらに「太子献上され香木沈香見抜き香木から観音像刻した」と付け加えられている。また太子像には柄香炉をもつ像が多く太子信仰と共に香を薫く仏教儀礼全国広まった考えられている。 芸能発祥太子事績とされ、芸能の神として祀られる。『書紀推古天皇20年条には、「百済から渡来した味摩之桜井(土舞台)に住まわせて日本少年伎楽を学ばせた」と記されているが、やがてこれが太子功績とされるようになった室町時代成立の『花伝書』は猿楽発祥を「太子秦河勝命じて66曲を作成させ「申楽」と名付けた」と記している。伎楽奈良時代まで盛んに行われるが、雅楽などの新し芸能により廃れた一方で江戸時代には太子登場する演目数多く作られた。 武士の中には太子勝軍神として祀るものもいた。中世太子伝の中には太子を「兵法伝授され達人で、丁未の乱秘術尽くして戦った」「蝦夷異能の力で服属させた」などと記すものが現れる戦国末期には、望月相模定朝古伝継いだ称して太子流軍法剣術創始し、そのなかの薙刀術は静流として会津藩継承された。 また、太子信仰根幹となり広く普及した『伝暦』は、日本文学にも影響与えた考えられる杉浦一雄は『伝暦』を最古一代記とした上で『源氏物語』構成物語論は『伝暦』を踏襲したものであり、光源氏モデル1人太子であるとしている。なお『伝暦』の著者推測されている人物には、紫式部曾祖父藤原兼輔がいる。また、湯浅佳子曲亭馬琴蔵書に『伝暦』がある事を指摘し、『南総里見八犬伝』の物語構成太子伝の影響があるとしている。

※この「日本文化と太子信仰」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「日本文化と太子信仰」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。

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