日本テレビへの1本化以降 (1974年 - 1996年)
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「読売新聞ニュース」の記事における「日本テレビへの1本化以降 (1974年 - 1996年)」の解説
新聞と在京テレビ局の資本再編に伴い、1974年3月いっぱいでTBSテレビでの放送が打ち切られると、これまでの日本テレビ・TBSテレビ各2日おきの放送から、日本テレビでの連日放送となり、放送時間も半年後の1974年10月からは夕方5時50分 - 6時00分から夕方5時00分 - 5時10分に移行した。さらにその後、1982年から夕方3時50分 - 4時00分の10分間に放送時間を移した(土曜日は従来どおり夕方5時00分スタート)。なお、夕刊のニュースはこれ以後原則として夕刊が配達される地域を中心に放送されるようになった(山陰中央テレビジョン放送→日本海テレビジョン放送、広島テレビ放送などのように、夕刊の無い地域での放送も一部あり)。 日本テレビでの連日放送体制以降、読売新聞東京本社内に日本テレビのスタジオが設けられ、1977年4月4日放送分よりそのスタジオから放送されるようになった。基本的には読売新聞の紙面をバックに、紙面記事からキャスターの解説を加えてニュースを伝えるという体裁だったが、1996年のタイトル改題以後はVTRも使われた。エンディングには必ずキャスター席にある東京本社の代表電話番号のパネル(後期はテロップ)を表示し、サイドに縦書きで「読売新聞社テレビスタジオ」という字幕を出していた。 また、その後テレビ神奈川・千葉テレビ・テレビ埼玉・テレビ和歌山でも、5社ニュース枠の5時50分 - 6時00分の枠で時差放送(週1回程度、主に火曜日だが、テレビ和歌山は平日の毎日放送。同じ内容を局を変えての実質再放送。千葉テレビでは放送後「5社ニュース」ローテーションが字幕表示されていた)された。また、山梨県においては日テレ系・山梨放送ではなく、TBSテレビ系・テレビ山梨で、少なくとも1990年代の木・金曜日の16:55-17:00に5分間に編集された内容で放送されていた。 番組のスポンサーとして、日本テレビでの連日放送体制に移行してからは午後枠に限り、東京電力の一社提供となった。ネットを受けていた局のうち、静岡第一テレビも放送エリアである静岡県富士川以東が東京電力の配電エリアとなっていることから、1979年7月の開局に伴うネット開始以降、同じく午後枠は同社の一社提供枠として続いた。なお、山梨県内も東京電力の配電エリアであるが、本番組をネットしていたテレビ山梨では、東京電力による一社提供枠とはならず、金曜日のみ中立電気の1社単独協賛番組として放送されていた。 一方、大阪・読売テレビでは、1982年4月3日から2000年9月29日の終了まで、夕刊の時間帯は大阪本社独自の企画ネットとしての『読売新聞ニュース』が放送されることになった(後期は5分に縮小)。 読売テレビで独自に放送されるようになったきっかけは、東京本社が制作した内容が東京中心になりなじみが薄いため、大阪本社版夕刊に対応した関西のきめ細かなニュースを提供する目的があった。 放送時間(月-金曜のみ)は当初は16時45分から10分間→その後全国放送と同じ15時50分から10分間→16時00分から10分間→最終的には15時48分から5分間と転々としていた。15時45分から10分間の時期もあった。 番組の内容は読売新聞大阪本社の編集記者と讀賣テレビ放送のアナウンサーがその日の注目ニュースの中から2 - 3項目をピックアップしてNNN配給の映像を交えて解説を行うというものだった。 当然タイトルも差し替えられ、お天気カメラによる近畿圏の各地の映像を交えてタイトルを出していた。オープニング・エンディングの音楽も差し替えられたため、関西では全国ネットの『読売新聞ニュース』のテーマ音楽は新聞休刊日バージョン(後述)でアレンジが聞ける程度となっていた。 大阪本社は関西だけをエリアにしているわけではないにも関わらず、関西以外でのネットは一切なかった。例えば、統合版しか発行されていない地域をエリアとする日本海テレビや広島テレビは東京版をネットしていた。 これとは別に、読売新聞ニュースの姉妹番組が相次いで登場した。1978年に『読売新聞あすの朝刊』がスタート。さらに放送開始時期は不明だが、新聞休刊日 の午前中(主に10時30分からだったが、ごく初期のころは『カリキュラマシーン』『おはよう!こどもショー』やアニメ再放送枠『おーい!まんがだヨー』の枠内の8時ごろに放送されたことがあった。1月2日は除く)には『読売新聞テレビ朝刊』も放送するようになった。こちらのオープニングテーマミュージックは夕方の放送の短縮バージョンというアレンジであった。
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