日本における英文学研究の創始とは? わかりやすく解説

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日本における英文学研究の創始

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 14:33 UTC 版)

斎藤勇 (イギリス文学者)」の記事における「日本における英文学研究の創始」の解説

斎藤東大英文学科入学した時には夏目漱石上田敏も既に去り日本人はひとりも教えていなかった。また、当時東大英文学科学風は、一つ主流際立っていたわけではなかった。斎藤多様な研究態度があることがむしろ望ましいと考え夏目上田先達跡を追うことはせず、独自にイギリスの宗教研究の道向かったその後日本英文学研究学問的レベル高めることに努め1913年からは東大教壇立って日本人英文学教員として実質的に夏目後継者となった碩学英文学界の泰斗称され齋藤学風ドイツ文学者小塩節は、「まず第一に原典にあたって正確であること、次いで全体として見通し大きくあるということ第三英文学本質キリスト教的愛と見さだめて、そこにまっしぐらにはいっている」と評している。これらの特色主著多く一貫して見られるが、とりわけ、広い視野立って規範的な大作家に取り組み、関係批評書によって作品についての新知識集積するよりも原典にあたって作品そのもの熟読することを重視していた。このような研究方針ベースには、英米書誌学en:bibliography)・本文研究en:textual studies)に対する高い見識があり、市河三喜が「英文学関連では東洋一」と称賛した蔵書精選する基準にもそれが反映していた。また、愛書趣味ではなく研究上の必要性から、イギリス留学中も「古本あさり」をして「良書」を蒐集した経験は、その後勤務した大学図書館整備する上で活用された。 日本英文学発展寄与することを生涯使命意識していた齋藤は、旧著が版を重ねる度に労をいとわず誠実に増補改訂をしている。英文学全体像大きく見通す思潮を中心とせる英文学史』(1927年)は『イギリス文学史』として何度も改訂され、また基本的資料となる『英米文学辞典』(1937年)も改訂経て今なお使われている。 齋藤生涯にわたる広範且つ緻密な研究により日本における英文学研究学問的基礎築いたが、同時に同学研究活動の組織化発展にも多大な貢献をした。1928年市河三喜土居光知と共に東京帝国大学英文学会を母体として全国帝大中心に組織拡大した日本英文学会創立し1938年には市河土居次いで第3会長1941年まで)を務めた戦後1949年同学会を財団法人として設立し真に全国的組織にしてからは、理事顧問務め永らく日本英文学界の長老として重き成していた。

※この「日本における英文学研究の創始」の解説は、「斎藤勇 (イギリス文学者)」の解説の一部です。
「日本における英文学研究の創始」を含む「斎藤勇 (イギリス文学者)」の記事については、「斎藤勇 (イギリス文学者)」の概要を参照ください。

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