日本における英文学研究の創始
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「斎藤勇 (イギリス文学者)」の記事における「日本における英文学研究の創始」の解説
斎藤が東大英文学科に入学した時には、夏目漱石も上田敏も既に去り、日本人はひとりも教えていなかった。また、当時の東大英文学科の学風は、一つの主流が際立っていたわけではなかった。斎藤は多様な研究態度があることがむしろ望ましいと考え、夏目、上田両先達の跡を追うことはせず、独自にイギリスの宗教詩研究の道に向かった。その後、日本の英文学研究の学問的レベルを高めることに努め、1913年からは東大の教壇に立って、日本人の英文学教員として実質的に夏目の後継者となった。 碩学、英文学界の泰斗と称された齋藤の学風をドイツ文学者の小塩節は、「まず第一に原典にあたって正確であること、次いで全体として見通しが大きくあるということ、第三に英文学の本質をキリスト教的愛と見さだめて、そこにまっしぐらにはいっている」と評している。これらの特色は主著の多くに一貫して見られるが、とりわけ、広い視野に立って規範的な大作家に取り組み、関係批評書によって作品についての新知識を集積するよりも原典にあたって作品そのものを熟読することを重視していた。このような研究方針のベースには、英米の書誌学(en:bibliography)・本文研究(en:textual studies)に対する高い見識があり、市河三喜が「英文学関連では東洋一」と称賛した蔵書を精選する基準にもそれが反映していた。また、愛書趣味ではなく研究上の必要性から、イギリス留学中も「古本あさり」をして「良書」を蒐集した経験は、その後勤務した大学の図書館を整備する上でも活用された。 日本の英文学の発展に寄与することを生涯の使命と意識していた齋藤は、旧著が版を重ねる度に労をいとわず誠実に増補・改訂をしている。英文学の全体像を大きく見通す『思潮を中心とせる英文学史』(1927年)は『イギリス文学史』として何度も改訂され、また基本的資料となる『英米文学辞典』(1937年)も改訂を経て今なお使われている。 齋藤は生涯にわたる広範且つ緻密な研究により日本における英文学研究の学問的基礎を築いたが、同時に、同学の研究活動の組織化と発展にも多大な貢献をした。1928年、市河三喜、土居光知らと共に東京帝国大学英文学会を母体として全国の帝大を中心に組織を拡大した日本英文学会を創立し、1938年には市河、土居に次いで第3代会長(1941年まで)を務めた。戦後1949年に同学会を財団法人として設立し、真に全国的組織にしてからは、理事、顧問を務め、永らく日本の英文学界の長老として重きを成していた。
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