活動の組織化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 06:55 UTC 版)
「ロバート・エッチンガー」の記事における「活動の組織化」の解説
エッチンガーは『不死への展望』を出版後も、著名な科学者らが彼の考えに賛同し、実現に向けた動きを開始することを期待した。これとは対照的に Cooper は積極的な動きを見せ、Life Extension Society (LES) という世界初の人体冷凍保存に関する組織を設立した。LES は人体冷凍保存の実現に向けて即座に動き出し、同時にアメリカ全土に支部を開設して草の根運動的基盤を形成した。Cooper 自身は1969年にはこの活動から手を引き、1983年に海上で行方不明となった。 カリフォルニアとミシガンで1966年、Cryonics Society が設立され、エッチンガーは Cryonics Society of Michigan (CSM) の初代会長に選ばれた。1970年代、CSM はエッチンガーの指導の下で Cryonics Institute (CI) と Immortalist Society (IS) に改編された。1976年、エッチンガーの母レア・エッチンガーが亡くなり、CIでの最初の人体冷凍保存が行われた。エッチンガーは2003年まで CI と IS の会長を務めた。 1964年から1990年ごろまで、人体冷凍保存に関する運動の成長はゆっくりとしたものであった。この間の運動には、プロの医学的・法的・哲学的・経済的支援が欠けていた。この運動に関わる人々は、嫌悪と嘲笑の対象になっていた。メディアを中心とした世間一般の見方も常に否定的だった。この外圧は、彼らの仲間や愛する者が亡くなったとき、共済基金的な形で管理せざるを得ない状況になったことによる心配と恐怖によって悪化した。人体冷凍保存は当時の一般人が考えていたものとは異なり、中産階級の賛同者が集まって行っているもので、設備も手法も彼らの手作りといってよいものだった。さらに心配されているのは、法的な状態が不明確な点で、将来的に法律で禁止される可能性は残っている。 インターネットの発展により、人体冷凍保存という概念はミームとして急激に広まっていった。しかし、今のところ個人レベルの動きにとどまっている。
※この「活動の組織化」の解説は、「ロバート・エッチンガー」の解説の一部です。
「活動の組織化」を含む「ロバート・エッチンガー」の記事については、「ロバート・エッチンガー」の概要を参照ください。
- 活動の組織化のページへのリンク