活動の詳細
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:21 UTC 版)
北アイルランド紛争の初期には貧弱な武器しか有していなかったIRA暫定派は、1970年代にアメリカ合衆国やリビアからの輸入によって近代的な武器を数多く入手した。当初は北アイルランドのカトリック地区における活動家への武器の供給や、ロイヤリスト組織との街路における抗争を行っていた。このような活動は北アイルランドのカトリック教徒から支持を集め、ロイヤリストの侵略を阻止する守護者と見なされていた。しかし1970年代にはいると、イギリス陸軍や王立アルスター警察隊 (RUC)、アルスター防衛連隊 (UDR) などを標的にした攻撃的なテロ活動に従事するようになるなど、1970年代の前半に活動の最盛期を迎えた。それと同時にIRA内での内部対立が激化し、1976年にはキングスミルの虐殺事件として知られるテロ事件を引き起こした。さらに勤務中でないRUCやUDRのメンバーを繰り返し殺害した。 IRA暫定派は主に北アイルランドにおいて活動していたが、一部のテロはアイルランド共和国やイギリス、さらにはその他の国においても引き起こされた。イギリス政府の高官や政治家、裁判官、警察官などを狙ったテロがイギリス国内の他西ドイツ、カナダ、オランダ、オーストラリアにおいて引き起こされている。地方自治権委譲を中心とするアルスター化による問題解決を模索していたイギリス政府がシン・フェインと妥協する過程で、テロがどの程度政策に影響を与えたかについては現在も議論が行われている。 IRA暫定派が何らかの声明を発表する際には、常に、ダブリンにおけるIRA宣伝部のP・オニールを名乗る偽名の署名を使用している。これはRuairí Ó Brádaighによると、この署名を思いついたのは参謀長を務めたマックスティオハンであるが、1641年に発生したアイルランドの反乱の指導者Phelim O'Neillとの関連性はないだろうとも述べている。ユニオニストにはPがピノキオの頭文字であると述べて、暫定派声明の真実性を当てこする者もいる。
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