日本における英国学派の受容と位置づけ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 19:06 UTC 版)
「英国学派」の記事における「日本における英国学派の受容と位置づけ」の解説
日本で英国学派が注目を集めるようになったのは、1990年代半ば以降のことである。それ以前では、1979年に『国際法外交雑誌』に掲載された菅波英美による英国学派の紹介論文がある以外は、一般的な認識では、ワイトやブルは(古典的)現実主義に分類されることが多く、ハンス・モーゲンソウやケネス・ウォルツといったアメリカの現実主義とは異なる独自の特徴を備えている点は看過された。 1990年代に入ると英国学派、とくにブルの議論を参照した研究が現れるようになった。代表的な例として、最上敏樹『国連システムを超えて』や田中明彦『新しい「中世」』などが挙げられる。そして2000年に、ブル『国際社会論』が翻訳されてからは、学術誌や大学紀要レベルで英国学派を主題にした研究が見られるようになっている。また2007年に入って、雑誌『思想』に英国学派を主題とした論文が掲載されたり、英国学派の父祖ワイト『国際理論』の翻訳が刊行されるなど英国学派への関心は高まりつつある。とはいえ、日本で英国学派と公言する研究者は皆無であり、学界では周辺的な存在にすぎない。
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