長老として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:15 UTC 版)
鈴木には中曽根に対して政権を譲ったという意識があったが、中曽根が田中派一辺倒の姿勢を採り、またしばしば鈴木政権時代の外交を批判したため、中曽根および長年の田中角栄との関係が悪化した。そのため二階堂擁立構想を仕掛けて田中・中曽根体制の転覆を図ったが失敗し、擁立に加わった福田赳夫などと共に影響力を低下させた。1986年(昭和61年)、宏池会会長職を宮澤喜一に譲る。これは派内で宮澤のライバルだった田中六助の死去を受けたものであり、また中曽根の後継総裁争いに備えたものだった。1990年(平成2年)に鈴木は政界を引退した。
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