研究の道とは? わかりやすく解説

研究の道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:33 UTC 版)

フランソワ・チェン」の記事における「研究の道」の解説

中国語センター教鞭を執る傍らボードレールランボールネ・シャールシュルレアリスム詩人はじめとするフランス詩人作品中国語翻訳し台湾香港出版した次に出会ったのはジャック・ラカンであった彼もまた難解な中国思想理解するために、中国人協力者を必要としていた。ラカンとは週に一回彼の自宅二人きり老子孟子をめぐる対話重ねようになった一方でまた、初唐詩人、張若虚(英語版)の研究修士論文執筆していた。「少なくとも20年間、私の生活を刻みつけたのは、矛盾分裂にみちた激し奮闘だった」(チェン『ディアローグ』)と語る彼は、渡仏20年目の1968年に「唐時代のある作家詩作品本格的分析 ― 張若虚」と題する論文社会科学高等研究院提出した審査員中国学者のジャック・ジェルネ(フランス語版)、ロラン・バルトらであり、バルトはこの論文高く評価したもう一人、この論文評価したのは、当時まだ20代ジュリア・クリステヴァであった。彼女は、修士論文テーマ発展させて、より広く漢詩言語について研究するようチェン勧めた。彼は、クリステヴァとの出会い決定的であり、これが研究の道に進む契機になった語っている。こうして1977年デリダバルトクリステヴァらが関わっていた前衛文芸誌テル・ケル』を刊行していたスイユ出版社から『漢詩エクリチュール』が出版された。彼はさらにこのテーマ追究し中国宇宙論主体と客体相互関係において論じた論文発表しまた、中国語表意文字絵画との共通性から、道教陰陽五行説との関連における中国絵画について著書発表しアントニ・タピエスらの評価得た。特に『八大山人線描天才』、『石濤救世主』は高い評価を得、後者フランス文化省アンドレ・マルロー賞(フランス語版)を受けた。さらにこれとは逆に香港台湾で『フランス詩人7人』や『アンリ・ミショー生涯と作品』などを出版しフランス詩人画家紹介努めるなど、中国フランス双方文化理解貢献している。 子ども時代戦争残虐性、死、暴力飢え、「無条件の悪」を経験し廬山大自然見出した美をその対極位置づけるチェンは、詩においてもこれを表現しこの頃、『木について、岩について』、『生き続け四季』などの詩集発表している。

※この「研究の道」の解説は、「フランソワ・チェン」の解説の一部です。
「研究の道」を含む「フランソワ・チェン」の記事については、「フランソワ・チェン」の概要を参照ください。

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