研究の道
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中国語センターで教鞭を執る傍ら、ボードレール、ランボー、ルネ・シャール、シュルレアリスムの詩人をはじめとするフランスの詩人の作品を中国語に翻訳し、台湾や香港で出版した。次に出会ったのはジャック・ラカンであった。彼もまた、難解な中国思想を理解するために、中国人の協力者を必要としていた。ラカンとは週に一回、彼の自宅で二人きりで老子や孟子をめぐる対話を重ねるようになった。一方でまた、初唐の詩人、張若虚(英語版)の研究で修士論文を執筆していた。「少なくとも20年間、私の生活を刻みつけたのは、矛盾と分裂にみちた激しい奮闘だった」(チェン『ディアローグ』)と語る彼は、渡仏20年目の1968年に「唐時代のある作家の詩作品の本格的分析 ― 張若虚」と題する論文を社会科学高等研究院に提出した。審査員は中国学者のジャック・ジェルネ(フランス語版)、ロラン・バルトらであり、バルトはこの論文を高く評価した。もう一人、この論文を評価したのは、当時まだ20代のジュリア・クリステヴァであった。彼女は、修士論文のテーマを発展させて、より広く、漢詩の言語について研究するようチェンに勧めた。彼は、クリステヴァとの出会いは決定的であり、これが研究の道に進む契機になったと語っている。こうして1977年、デリダ、バルト、クリステヴァらが関わっていた前衛文芸誌『テル・ケル』を刊行していたスイユ出版社から『漢詩のエクリチュール』が出版された。彼はさらにこのテーマを追究し、中国の宇宙論や主体と客体の相互関係において論じた論文を発表し、また、中国語の表意文字と絵画との共通性から、道教、陰陽五行説との関連における中国絵画について著書を発表し、アントニ・タピエスらの評価を得た。特に『八大山人 ― 線描の天才』、『石濤 ― 救世主』は高い評価を得、後者はフランス文化省のアンドレ・マルロー賞(フランス語版)を受けた。さらにこれとは逆に、香港、台湾で『フランス詩人7人』や『アンリ・ミショー ― 生涯と作品』などを出版し、フランスの詩人や画家の紹介に努めるなど、中国・フランス双方の文化理解に貢献している。 子ども時代に戦争の残虐性、死、暴力、飢え、「無条件の悪」を経験し、廬山の大自然に見出した美をその対極に位置づけるチェンは、詩においてもこれを表現し、この頃、『木について、岩について』、『生き続ける四季』などの詩集を発表している。
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