日本での事業継続とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 08:20 UTC 版)
「モズライト」の記事における「日本での事業継続とその後」の解説
モズライト・ギターは特有のデザイン、音質から多くのギタリストに愛用され、ベンチャーズや加山雄三、寺内タケシの影響で特に日本で人気を博しグループ・サウンズ期にも需要があった。1968年5月には日本のファーストマン社と正式なライセンス契約が結ばれ、Avengerモデルが発売された。Avenger(復讐者)のネーミングは、当時の日本ではモラレスES-300やES-500を筆頭にさまざまなコピーモデルが氾濫していたので、それらに対する「復讐」の意味があったと言われている。 1970年代の後半から、パンクバンド、ラモーンズのギタリスト、ジョニー・ラモーンが愛用していたこともあり、今も多くの若者に支持されている。 後に、1980年代末に、ノースキャロライナ州ジョナスリッジに(この工場は火災による被害を受けている)、そして晩年はアーカンソー州ブーンヴィルに移転し、モズレーが設立したユニファイドサウンド社が生産を行っていたが、1992年にモズレーが死去すると4番目の妻のロレッタ・モズレーが経営を引き継いだものの、1994年に倒産した。ちなみに、元ユニファイド社のスタッフやフィルモア側の証言によると、ロレッタ夫人は倒産後、ブーンヴィルの工場を引き払ってネバダ州のカーソンシティに転居してしまった。 1976年からモズライト代理店として営業して来た日本のフィルモア楽器(1976年6月創立)がモズレーの死後、浮いた商標を再取得し、東海楽器製造及びアメリカ国内のギターメーカーに製造を委託してモズライトとして販売している。 前述のようにベンチャーズ全盛期にはセミー・モズレーとも親交のあった日本のファーストマン社(前述)が、モズライトの許可を得て日本製モズライトギター(モデル名:Avenger)を生産していたが、1969年に米モズライト社の倒産の煽りを受けて昭和44(1969)年 7月にヒルウッドに名称変更しギター製作から撤退した。その際、ファーストマン社の下請け会社であった黒雲製作所がAvengerやベンチャーズモデルなどの生産を続けていたため、商標使用の権利を巡って前述のフィルモア楽器が訴訟を起こしたが東京地方裁判所(平成19(ワ)5022)において双方共に正式な商標権を持たないことが確認された。 その後もロレッタ未亡人がモズライトの主権を主張し、京都府に工房を設け、かつてモズライトの工場に勤務しているクラフツマンを迎えてモズライトギターの受注生産を開始した。これにより現状ではフィルモア製モズライトと黒雲製作所製、そしてロレッタが設けた工房製の三種類があることになり、さらに2009年6月15日、ロレッタ・モズレー側が(株)フィルモア及びアメリカでのモズライトのディストリビューターである"Ed Roman Guitars"社を相手取り、「モズライト」の所有権を改めて明確にすることを求め、アメリカ合衆国連邦裁判所に対し提訴、正式にロレッタ未亡人がモズライトの@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}版権[要出典]を取得した。 なお日本における直近のモズライト商標に関する継承者は、亡くなったモズライト創設者の一人で、モズライトギターを考案したセミー・モズレーの未亡人ロレッタ・モズレーである、と東京地方裁判所は述べた。これまで排他的にモズライト商標を行使できると目されていた株式会社フィルモア(東京都武蔵野市)は、1審で完全に敗訴した形になっている。
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