日光のザリガニとは? わかりやすく解説

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日光のザリガニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 06:08 UTC 版)

ニホンザリガニ」の記事における「日光のザリガニ」の解説

大正時代1915年大正4年)、京都行われる予定であった大正天皇即位儀礼である御大礼に伴う食事会大饗」の際、『天皇の料理番』で知られる宮中料理人秋山徳蔵が、フランス料理である「クレーム・デクルヴィッス(ザリガニクリーム仕立てポタージュ)」を供することを構想した。だが日本にはヨーロッパザリガニ生息しないため、秋山北海道ニホンザリガニを使うことを考えた。現在、外来種として知られるアメリカザリガニウチダザリガニ移入昭和以降となるため、この時代日本採取できるザリガニは、本種以外に無かった。たまたま旭川の「師団長」(秋山の著書には氏名明記されていないが、場所・時期からして第七師団宇都宮太郎陸軍中将であると思われる)が大饗監督責任官すなわち秋山の上司である大膳福羽逸人知人であったため、その協力得て師団兵士らを動員して、必要数を満たす支笏湖産の4000匹のザリガニ生きたまま確保する事が出来た4000匹のザリガニ8月日光運ばれ日光御用邸付近大谷川生簀作られ飼育された。当時大正天皇避暑中で同地滞在しており、秋山らも供奉御用邸滞在していたためと、日光気候および清冽な水環境ニホンザリガニの飼育に適していると判断されたと推測できるこのうち2000匹が10月京都運ばれ11月7日御大礼晩餐会にて使用された。詳しく秋山の項目内の大正天皇御大礼ザリガニ騒動」を参照北海道庁発行していた『北海殖民広報』に拠れば翌年以降複数回に渡って日光」に支笏湖産のザリガニ送られており、また大沼産のものが「献上」された記録も残る。また、秋山が「ザリガニポタージュ」を供したのはこれが初めではなく明治時代末の1910年ドイツ全権大使をもてなす料理で既に提供されている。このため1910年には料理使用できる鮮度、すなわち生きた状態で宮中運ばれていたと推測される前出4000匹の内、2000匹が京都御大典の際に調理され、残る個体の内1000匹は、天皇東京へ無事戻った際の晩餐調理された。さらに残った1000匹が中禅寺湖放たれた、と記録されている。また上述のように、その後何度もザリガニ送られているが、その全て調理されわけではない、と推測するともできる御用邸にはその後調理場付近にザリガニ囲い」と呼ばれる施設作られ清涼引かれた同施設内でザリガニ養育された。ここから個体脱走もしくは成体や卵が流出したことも考えられるともあれ現在の大谷川水系周辺にはニホンザリガニ生息確認されている。しかし人工的な移入であるため、これもまた外来種という捉え方もできるが、一方で歴史的価値のある個体群であるとも捉えることができる。なにより種として絶滅危惧種」であるため、日光周辺ニホンザリガニ一概に外来種として例え駆除するなどの短絡早計方策は、さすがに熟慮する必要がある

※この「日光のザリガニ」の解説は、「ニホンザリガニ」の解説の一部です。
「日光のザリガニ」を含む「ニホンザリガニ」の記事については、「ニホンザリガニ」の概要を参照ください。

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