日光の板垣像建立とは? わかりやすく解説

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日光の板垣像建立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 03:10 UTC 版)

板垣正貫」の記事における「日光の板垣像建立」の解説

戊辰戦争の時、板垣退助日光東照宮戦火から救ったことから、昭和3年1928年12月日光町内に「板垣彰徳会」が設立された。設立趣意書には「今日世界日光たるを得しめたるは、維新当時官軍主将板垣退助氏の敬虔な態度周到な措置とに由来することを、我等追慕念慮感謝誠意を以て永久に忘れることが出来ないのである。(中略明治維新の後に於ける政党領袖民権の首導者として隠れなき板垣伯は、一面武将として精神家として、亦、特に世界名勝たる我が日光にかうした尊き事跡残されてゐる。(中略郷土人士さへこの社廟保護日光発展の上に、斯くの如き人傑偉力注がれてゐることを熟知する者は比較少数であることを思ふと洵に遺憾に堪へぬ」と記され板垣退助銅像建設をも目標として、名誉会長栃木県知事会長日光町長、評議員輪王寺門跡日光東照宮宮司二荒山神社宮司日光町助役日光精銅所長16名が名を連ねた発起人は、日光精銅所長金子智で着々と準備整い、翌昭和4年1929年12月8日銅像除幕式迎えた開会の辞建設会長今井徳順、工事ならびに会計報告金子智、銅像製作報告本山白雲式辞望月圭介(旧自由党員代表)、除幕板垣正貫奏楽祝辞浜口総理大臣代理、同祝辞頭山満板垣退助門人代表、自由民権運動直系後継者代表)、同・犬養毅、同・栃木県知事、同・民政党支部長、同・政友会支部長同・日光町長、家族代表謝辞宮地茂秋退助・孫)の順に行われ、式後山休憩所に於いて直会開かれた銅像題字は、徳川嫡流宗家徳川家達揮毫行った

※この「日光の板垣像建立」の解説は、「板垣正貫」の解説の一部です。
「日光の板垣像建立」を含む「板垣正貫」の記事については、「板垣正貫」の概要を参照ください。

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