文藝評論の展開
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『反=文藝評論』では、村上春樹の『ノルウェイの森』や俵万智の『サラダ記念日』が刊行された1987年以降、現代文学が新たな恋愛幻想に取り憑かれ、カジュアル的なセックス描写を批判するとともに、男女関係の現実を描くリアリズムの文学として、藤堂志津子や佐川光晴を高く評価した。『リアリズムの擁護』では、田山花袋の『蒲団』に遡り、赤裸々な事実の暴露という意味での、リアリズムの系譜を掘り起こしている。『私小説のすすめ』でも、自分や周囲のことを書いた小説を「私小説」と定義し、私小説とは流派、洋の東西を問わず存在する小説形態であると主張している。また志賀直哉に始まる「心境小説」系私小説を「随筆」として否定すると同時に、『蒲団』以降の「暴露型破滅型」私小説を高く評価し、自らの成長のためには、情けないこと、苦しい思い出こそ書くべきだと読者に勧める。 私小説の再評価と併行するかのように、文芸批評における伝記研究の復権を主張し、自ら作家評伝の執筆を手がけている。『片思いの発見』所収の「恋・倫理・文学」では、文学と倫理の関係を論じて作家の伝記の問題に及び、国木田独歩の評伝がロマン派的な恋愛幻想により歪曲されていると指摘した。『谷崎潤一郎伝──堂々たる人生』では、従来、自律した虚構としてその作品が論じられてきた谷崎の生涯を論じて、多くの作品が実生活を素材として書かれていることを主張し、「松子神話」など性や恋愛をめぐる谷崎幻想の超克をめざした。『里見弴伝──「馬鹿正直」の人生』では、ヨコタ村上孝之ら「近代恋愛」論者が、「恋愛」が西欧から輸入されたと見なしている明治以降の日本においても、ポリガミックな男女関係が残存していたことを、里見の生涯と文筆を通して検証した。 小谷野の文藝評論は、日本の前近代の文藝や、海外の文学をも対象にしている。江戸文藝に関しては、八犬伝をめぐる論文を『日本文学』に発表した他、『八犬伝綺想』、『夏目漱石を江戸から読む』等の著書がある。また、アメリカ文学を論じた『聖母のいない国』では、従来、ロマン派やモダニズムの視点から語られていたアメリカ文学史を、リアリズムの観点から見直すという論を展開し、サントリー学芸賞を受賞した。『『こころ』は本当に名作か』では、古今東西の名作に独自の評価を下し、江戸文藝や漱石、ドストエフスキーの価値を疑問視している。 2004年に書かれた『評論家入門』では、19世紀に隆盛を極めた小説という表現ジャンルは20世紀半ばには衰退しはじめており、次に流行りそうなのはエッセイだと書いている。
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