文学におけるオーガズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:38 UTC 版)
「オーガズム」の記事における「文学におけるオーガズム」の解説
古代より、オーガズムは文学において幅広く表現され続けてきた。古典古代では、ギリシア文学やラテン文学もこの主題に取り組んでいた。オウィディウスの『変身物語』はユーピテルとユーノーの交わした議論を再話している。ユーピテル曰く―― 男の快感は遥かに/味気なくつまらない、あなたがた女に較べれば。 ユーノーはこの考えを拒絶する。両者は、女性として7年間を生き「愛を男女両方で知った者」テイレシアースに意見を求める。テイレシアースはユーピテルに同意して女の快感は男の10倍であると答えユーノーの怒りを買い、その場で盲目とされてしまった。ユーピテルはテイレシアースの痛手を和らげるため予言力と長寿を与えた。『変身物語』以前にも、オウィディウスは『愛の技法(英語版)』において2人共に満たすことのできない性交を嫌悪すると宣言している。 ロマン主義とホモエロティシズム(英語版)の時代となってもオーガズムというテーマは描かれ続けた。「並外れた守備範囲と多彩さの翻訳者」と称された詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(1792–1822)は『フランソワ・ラバイヤックとシャルロット・コルデーの祝婚歌と思われる断片』の中で「いかなる生もかのような死には及ばず」というフレーズを記し、これはオーガズムの暗喩であると考えられており、またこのフレーズの前には「吸ってくれ、吸ってくれ、僕は燃える、僕は燃える!」という明白にフェラチオを仄めかした詩行がある。シェリーにとってオーガズムは「並外れた魅力を持つ人と共にいながら放置された状態でいることによるほとんど不本意な結果」であった 。シェリーの生涯最後の恋の相手であったエドワード・エラーカー・ウィリアムズ(英語版)のことが『セルキオ川の小舟』で回想されており、これは恐らく「文学における最も偉大なオーガズム描写」であろうと見なされている[要検証 – ノート]。 The Serchio, twisting forth セルキオ川は曲がりくねりつつ進む Between the marble barriers which it clove 大理石の両岸をかき分けながら At Ripafratta, leads through the dread chasm リパフラッタにて、恐ろしい深淵を貫いて The wave that died the death which lovers love, 恋人たちが愛する死を死んだ波は進む、 Living in what it sought; as if this spasm 求めるものの中に生きながら――この痙攣が Had not yet passed, the toppling mountains cling, 未だ過ぎ去らぬかのように、ぐらつく山々はしがみつくが、 But the clear stream in full enthusiasm 澄んだ流れは熱狂に満ちて Pours itself on the plain.... 平野へと自らを注ぎ込む…… シェリーはこの詩においてもまた「恋人たちが愛する死」として死とオーガズムを結び付けている。興味深いことに、フランス文学においては小さな死(英語版)(仏: la petite mort)はオーガズムの有名な婉曲表現となっている――これは人がオーガズムの間は自身のことも世界のことも忘れ去っていることを表しているのである。アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスもまた同じ発想から、「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」に付けた脚注において、トレーンの教会の中の1つが観念的には「全ての男は、性交時の眩暈のする瞬間には1人の同じ男なのである。シェイクスピアの詩の1行を暗唱する者は全てウィリアム・シェイクスピアなのだ。」と主張していると書いた。シェイクスピアその人もこの考え方には親しかった――「私はあなたの心の中に生き、あなたの膝の上で死に、あなたの瞳の中に葬られましょう」「私は勇敢に死んで行こう、気取った花婿のように」と、『空騒ぎ』のベネディックおよび『リア王』のリア王に繰り返し語らせており、女性の膝で死ぬというくだりは性的なオーガズムを含意すると解釈されている。 精神分析学者のジークムント・フロイトは『自我とエス(ドイツ語版)』(1923)において、オーガズムによる性的満足はエロース(生の本能)を使い果たしタナトス(死の本能)へと場を譲るのではないか、換言すればオーガズムによりエロースはその任務を終えタナトスに取って代わられるのではないかとしている。現代作家たちは隠喩なしでオーガズムを表現することを選んでいる。例えばデーヴィッド・ハーバート・ローレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』(1928)に、カップルの性行為のあからさまな語りを見出すことができる――「彼が動きはじめると、彼女の中で突然でどうすることもできないオーガズムが目覚め奇妙な戦慄が彼女の内側で波紋となって広がっていった……」。
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