抵抗の理論、モナルコマキとは? わかりやすく解説

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抵抗の理論、モナルコマキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:54 UTC 版)

ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「抵抗の理論、モナルコマキ」の解説

モナルコマキ」も参照 カルヴァン自身信徒反乱抵抗認めなかったが、カルヴァン死後のカルヴァン派国家からの弾圧抵抗し上述のように1572年には聖バルテルミの虐殺事件発生した。その翌年ジュネーヴテオドール・ド・ベーズは『臣民対す為政者権利について』において、人民同意しない僭主や、また正当な君主であっても権力濫用する場合抵抗権主張した。ただし、ベーズは抵抗する資格のない個人の権利については制限しており、抵抗する資格があるのは次位為政者具体的には大貴族三身分会であるとしている。 同年にはフランソワ・オットマン著『フランコガリア』が刊行されゲルマン人伝統である等族国家の「祖先良き法」によって絶対主義対抗する思想表明したローマ人専制政治持ち込みゲルマン人には本当の自由があるという観念は、18世紀シャルル・ド・モンテスキューも「自由はゲルマンより」と述べており、こうしたゲルマン的自由を制度したもの選挙王政等族国家における立憲主義みなされた。 暴君への抵抗理論典型例といわれるのが、「ユニウス・ブルートゥス」なるペンネーム著者著した暴君対する自由の擁護』(『暴君対す反抗権利』)である。このパンフレットでは、君主は「神の代理人」として神の法を行う義務を負うと述べて旧約聖書』を引用し、神、君主人民の間には契約があるとする。したがって君主が神の法を侵した場合には服従しなくてもよいということになる。そしてベーズ同様に、王に抵抗できるのは次位為政者である貴族だけであるとされ、ここでも等族国家モデルとした考えうかがえる一方近隣暴君支配苦しむ国に干渉戦争をおこなうことは真の宗教擁護することであるとして肯定される。このような暴君放伐論者は、モナルコマキ (Monarchomaque) と称された。 カトリック側でも虐殺行き過ぎだとする反省の意見が出てくると、これに反発するイエズス会などのカトリック強硬派ユグノーをもっと弾圧すべきである主張しリーグよばれる同盟結んだ1584年王位継承者アンリ・ド・ナヴァルとなったとき、将来的ユグノーの王が出現する可能性生じたため、これを抑える意見としてユグノー側から発せられたモナルコマキ理論借用して権力人民から来ており、契約違反があれば抵抗権認められる主張したイエズス会ロベルト・ベラルミーノは『至高権力について』においてローマ教皇権威強調し、ジャン・ブーシェが国王アンリ3世暗殺ののち『アンリ3世正統退位について』でアンリ契約違反であった論じた。このほか、イスパニアマリアナフランシスコ・スアレスがおり、スアレス国法自然法区別したことによってフーゴー・グローティウス先駆者とされる。しかし、リーグ教皇至上主義ウルトラモンタニズム)はフランス国益という観点から支持されなくなり、また暗殺のような手段をとったことで勢力失った

※この「抵抗の理論、モナルコマキ」の解説は、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の解説の一部です。
「抵抗の理論、モナルコマキ」を含む「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事については、「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の概要を参照ください。

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