批評的評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 08:06 UTC 版)
シカネーダーのリブレットの評価を行った現代の評論家は、ベートーヴェンに同意する傾向にある。ロックウッドはベートーヴェンの伝記において、本作を「下請け仕事の凡庸作」と呼んだ。バリー・クーパーは「嘆かわしい」と評する。ポール・ロビンソンはベートーヴェンが「筋の通ったテクスト」を探していたことを示す古い書簡に触れた上で、こう述べる。 『ヴェスタの火』は筋の通ったテクストではない。古代ローマの設定による重々しく英雄的出来事であり(人物名はパルティアやインドを示唆するものであるが)、飽き飽きするような策謀が充満している。シカネーダーはパントマイムから逸脱し、(ベートーヴェンがロホリッツに述べたところの)「ウィーンのリンゴ売りの女性たちの口から出るような言語や韻文」を残したまま停滞したメタスタージオの影響下に堕していったのだ。 ヴェスターマン(1983年)は第1の場面が忍耐可能なものであるとしながらも、こう続ける。「ここからテクストは複雑な芝居っ気の泥沼へと嵌っていく。ベートーヴェンが放棄したのはあっぱれだった。」 これに対し、評論家たちはベートーヴェンの音楽には賛辞を述べている。一例として、アラン・ブライズは『グラモフォン』誌で1997年のドイツ・グラモフォンの録音への評において「真に聴く価値がある」と書いている。1954年にヴィリー・ヘスによる本作の初版刊行に寄せて、音楽学者のドナルド・マカードルは喜びこうコメントした。「コンサートに通う人々のために、ヘスが旋律豊かで劇的な、広く聴かれ楽しまれるべき楽曲を蘇らせてくれた。」 ロックウッドはこう記している。 『ヴェスタの火』はベートーヴェンがオペラの技術に関する知識を進歩させていることを初めて示すものである。彼が開始の場面を注意深くモーツァルト風の型に味付けし、日頃の集中力と創作への真剣さをもって専念し、テクストの平凡さにもかかわらず全力を投じることを決意した様を我々は見て取ることが出来る。この総譜とスケッチ(後者は未出版のままである)には、彼がシカネーダーのリブレットから価値あるものを救い出そうと取り組む姿が示されている。スコアの中では少なからぬ瞬間 -- マーロの駆け足、主人公とヒロインの愛の誓い、ポルスと対峙したサルタゴネス、そして最後には素早い動きのよく整った三重唱 -- において、円熟のベートーヴェンが取り組まざるを得なかった題材から情熱的なもの、音楽的な効果を生み出すべく努力する様が見て取れる。ベートーヴェンの大きな発展の中にあっては控えめな位置を占めるに過ぎないとはいえ、『ヴェスタの火』が明らかにするものは価値が高い:芸術家としての生涯を決定づける年にあったベートーヴェンがオペラ的技法を習得しようともがき、彼にとって最大級の模範である『魔笛』と、来る自身初のオペラ完成作との間で釣り合いを取っているのである。
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