批評的聖書学の説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 00:14 UTC 版)
福音書に表れるファリサイ派の記述は、サドカイ派と組んでイエスの揚げ足を取ろうと狙い、殺意を抱く「悪者」として描かれている(内部には親イエス的な人間もいたことも描かれている)が、この描写は初期キリスト教徒たちとユダヤ教主流派となったファリサイ派との間に確執があったためで、それが福音書においてファリサイ派がイエスの論敵として描かれた動機の一部であるとする説もある。たとえばヨハネによる福音書9:22にイエスをメシアだと公言する者がいれば会堂から除名する取り決めが当時ユダヤ人当局によって為されていたと記されているが、岩波書店訳の『新約聖書』補注は、蛭沼・秀村編『原典新約時代史』を引いて、これは紀元70年のユダヤ戦争後のガマリエル2世の時に、ナザレ派のユダヤ人キリスト教徒に手を焼いたファリサイ派が、会堂で唱える背教者への呪いにナザレ派の人々への呪いを付加した事例を反映したものであるという。すなわち、これはイエス在世時にはありえない話で、その決定が時代を遡ってイエス在世時の事柄だとされているので、要するに自分たちユダヤ教キリスト者が置かれた当時の状況をヨハネによる福音書の執筆者たちが自らの福音書に反映させた記述なのだという。ちなみに、この原語となるアポシュナゴーゴス(aposynagogos)という名詞は新約聖書中に3度使用例があるが、その全てがヨハネによる福音書である(12:42,16:2)。このような時代背景が福音書記者をして必要以上にファリサイ派をイエスの論敵として書かせた背景だと考えられている。 ヨハネによる福音書やそれを題材とした作品に反ユダヤ主義があるかは議論されている。また、ファリサイ派から追放されたユダヤ人クリスチャンが書いたマタイによる福音書にあらわれるファリサイ派とイエス派の争いが、反ユダヤ主義になったとする見解がある。 田川健三によると、ユダヤ教の宗教的社会的支配体制の代弁者であるファリサイ派律法学者に対し、その体制のなかであえぎながら生きているイエスという男は、徹底して批判しようとしたのだと言う。田川は、マタイが自分自身が律法学者の精神の中にあるためにする批判も多いとする。 荒井献は、ファリサイ派律法学者の社会階級に注目し、彼らが小市民階級であったとする。
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