打者としての台頭とは? わかりやすく解説

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打者としての台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:38 UTC 版)

ベーブ・ルース」の記事における「打者としての台頭」の解説

1915年から1917年にかけてルース投手以外で起用されたのは、たったの44試合であった1917年シーズン終了後チームメイトであったハリー・フーパーは、「ルース野手として毎日試合出場した方が価値上がる」との提言をしている。 ルース外野を守る回数増え登板する機会減っていったのは1918年からである。かつてのチームメートであるトリス・スピーカーは、「投手ありながら登板のない日に野手として試合に出るのは馬鹿げたことだ」と話し、この転向ルース選手生命縮めるかもしれない見ていたが、ルース自身打撃方に関心移っていき、本格的に野手転向することになる。この年ルース打率.30011本塁打という記録を、レギュラー野手としては圧倒的に少な317打数達成している。 1919年には、130試合出場するも、わずか17試合し登板しなかった。同年放った29本塁打当時MLB記録である。当時ホームランシーズン二桁打てば相当なスラッガーであり、最初期の「飛球をワンバウンドで取ってアウト」というルール影響から、本塁打自体評価低かった。そのため、ルース29という本数当時としては驚異的であり、本数重ねるうちに過去MLB本塁打記録調べ直されそれまで最多本塁打記録1884年のネッド・ウィリアムソン(英語版)の27本(ライトが約60mなど本拠地異常に狭かった球場での記録)に修正されるなど、文字通り歴史塗り替える画期的な出来事であったルース登場により、飛ばないボールデッドボール時代終わり本塁打量産されるライブボール時代始まったルース猛打の噂は瞬く間広がってプレイ一目見たさに大観衆が詰めかけた。第一次世界大戦終戦による解放感さらには未曾有の好景気から、大衆華やかで、派手で、爽快なパフォーマンス求めており、ルース特大ホームランはその望みにぴったりだった。ルース名声が高まるとともに、その胴回り広がっていき、オリオールズ時代チームメイトは、ルース胃袋大きさ驚いたという。1919年には、ルース肉体1916年当時の背の高いアスリートらしい姿から、丸々太った体型へと変化していた。こうした酒樽のような上半身対し筋肉質下半身おかしなほど細く見えたが、シーズン二桁盗塁を5回記録するなど、走者としても野手としても問題はなかった。ルースライバルといえる打者タイ・カッブも、後年ルースを「太っている割には走るのが速かった」と述べている。 また、タイ・カッブは、もしルース最初から野手として起用されていたらもっと本塁打数は伸びていたのではないか、という意見対し、「ルース投手だったからあの大振り許されたんだ。もし野手だったらもっと粘ったり、当てにいく打ち方求められただろう。大振りして無様な三振をしようものなら、それも奴は若造だったから、大目玉食らっていただろうよ。だけど奴は投手だったから誰も気にしなかった。だから奴は自分なり打ち方いろいろと試すことができて、打者転向した頃には、確固たるものに仕上がっていたんだよ」と分析している。

※この「打者としての台頭」の解説は、「ベーブ・ルース」の解説の一部です。
「打者としての台頭」を含む「ベーブ・ルース」の記事については、「ベーブ・ルース」の概要を参照ください。

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