戦後最高の議席獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:40 UTC 版)
「池田勇人内閣の政策」の記事における「戦後最高の議席獲得」の解説
このピンチを凌ぎきると、国会を解散して選挙戦へ突入させた。1960年11月の総選挙で、池田はテレビのスポットCMに出演するという過去に例のない選挙戦術を使った。CMに登場する池田の「私はウソは申しません」は流行語になった。放送料金は現在の価格で約4億円かかったとされ、賛否両論が渦巻いたが気に懸けず、また遊説でも米の値段、年金や税金の水準など数字を語り続けた。「所得倍増」という分かりやすいスローガンは、国民に強い印象を与えた。 「所得倍増論」は、はじめは非現実な人気取りと見られ、野党、エコノミスト、マスコミ、一部与党内、また多くの国民の反応は冷ややかであった。しかし池田は「経済のことはこの池田にお任せいただきたい。10年で所得を倍にしてみせます」などと力説、全国遊説やテレビ政見放送などを通じて、「所得倍増論」は国民に期待を持って受け入れられてゆき、空前の"池田ブーム"が巻き起こった。 高坂正堯は「国民は政治家を評価するに当たって、いちいちその政策を専門的に分析したりしない。多くの場合、政策はあまりにも専門的で、そしてあまりにも難しい。国民が池田の言葉を信じたのは、池田がその政策に自己を賭けていることが滲み出ていたからである。池田が『所得倍増政策』を説いたとき、国民は彼が一生懸命かどうかを見、それによって判断したのである。池田は政治家としてそのことを知っていたのである(中略)多くの人が『所得倍増』という目標を疑ったが、池田は戦後の復興と発展に自ら携わり、それを成功させてきたという自信に満ちた態度を崩さなかった。大多数の国民はそれによって池田を信頼した」などと述べている。 細川隆元は「池田のかつての暴言が実際は本当のことをいう政治家だという評価になり、それが逆に池田を人気者にした。あんなズバズバものを言う政治家こそいまは必要だと、本音とたてまえを両天秤にかけるような政治家に飽き飽きしていた世の中だったので、池田のあの暴言が直言に聞こえ、かえって池田の評価を高くした。池田の暴言が池田を総理大臣にしたといっても差し支えない(中略)池田は忍耐と寛容、そして低姿勢という真に優しい政治姿勢を示し続けたが、一番の政策は、何といっても所得倍増という高度成長のきっかけをつくったことにある。この所得倍増こそ低姿勢の池田でなくて、突進型の池田の性格そのまま映し出したものだった。岸がもっぱら外交問題に没入し、安保騒動という真に暗い政治の局面を作り出した後を受けた池田が、片手に忍耐と寛容、片手には所得倍増という真に景気のいい政策を打ち出したので、池田に対する評価はのぼる一方だった」などと述べている。 慌てた社会党、民社党も、池田のペースに巻き込まれ、総選挙を目前に控え、不用意のまま、池田政策の各項目をなぞるような経済計画を発表した。これらは安保解散で勝利を狙った各党が池田の議題設定に乗らざるをえなくなったことを示したもので、この反応を見た池田サイドは勝利を確信した。 11月20日の衆議院総選挙で自民党は、繰り上げ当選者を加えると301議席という戦後最高の議席を獲得し大勝した。議席占有率61.7%は、1996年の小選挙区制導入までの最高記録だった。
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