戦後期から現在にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 17:47 UTC 版)
「秋田県立図書館」の記事における「戦後期から現在にかけて」の解説
太平洋戦争は当館にも1945年(昭和20年)6月に貴重な資料約500点の疎開をさせるなどの影響をもたらし、戦後も県内の小規模図書館の多くが消滅していったものの、1947年(昭和22年)に『秋田県中央図書館報告』を提出するなど当館は引き続き中央図書館としての機能を維持している。図書館法(1950年制定)制定に先立つ1949年(昭和24年)には自由接架室を置き、1951年(昭和26年)には所蔵文庫をNDCに準拠した分類体系に整理して郷土文献目録を刊行した。翌1952年(昭和27年)には県内主要図書館10館と連携して、新たに配本所方式に基づく貸出文庫が発足した。これは県内10か所に設置された配本所を通じて4Hクラブ、青年会、婦人会、読書会などに1ヶ月50冊をめどとして貸し出す方式であった。貸出文庫の及ばない僻地に対しては、1953年(昭和28年)に導入された自動車文庫「おりおん号」がカバーした。全3コース、県内60か所に設置されたステーションを巡回し、走行距離は939kmにもおよぶものであった。1960年(昭和35年)には「第二おりおん号」が導入され2台での運行となり、この「おりおん号」の活動は1987年(昭和62年)まで続いた。 秋田国体が開催された1961年(昭和36年)には、秋田市下中城町に秋田県民会館、秋田県日米文化会館(1971年廃止)の複合施設として新館が完成し、11月に開館した。 現在の秋田県立図書館は、1993年(平成5年)秋田市千秋明徳町から同山王新町に移転した際に現名称に改められたものである。施設としては4代目にあたり、秋田県公文書館との複合施設(#施設概要にて後述)である。先代の施設は改修を受け、秋田県民会館分館「ジョイナス」として2018年(平成30年)まで使用された。2006年(平成18年)には分館として「あきた文学資料館」が開館した。
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